差別せずには生きていけないという無様。 - Something Orange
【SomethingOrange生放送:「ノーボーダー」について その1】(音声)
http://www.websphinx.net/mv/radio/somethingOrange-100307-1.mp3
【SomethingOrange生放送:「ノーボーダー」について その2】(音声)
http://www.websphinx.net/mv/radio/somethingOrange-100307-2.mp3
【「分らなくても楽しいよね」という話】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/41aae9d1d7e6cb30711cc0cb515e655b
海燕さんが最近提唱した「ノーボーダー」の話題について、おたく側から観えるもの話をいろいろさせてもらいました。それでその中の話題で出てきた「無様」に関する話をもう一歩深く文章で書き起こして起きたいなと思い、ちょっと頭の中を整理していたのですが、これがなかなかどこから書いたものかまとまらなかった。
そんな所、ニコ生をご一緒したsajikiさんと、それからsajikiさんの友人LeQさんからスカイプを通して声を掛けられて(※すっと、声を掛けて来て下さって、嬉しかったのですが、スカイプ導入の恩恵というか、このアクションの軽さが「ノーボーダー」の話の肝のような気がするのですが、それはまた別の話というか海燕さんにパス(´・ω・`))ニコ生での話/疑問点をもう少し聞かせて欲しいと。…で、「無様」の話をして欲しいと言われて、ちょうど頭の中の整理中だったので、思わずその場で考えている事を、ドバドバ~~~~~!!と喋らせてもらいしまうました。思い返してみると……ぶっちゃけドン引きされてたような気がするし(´・ω・`) 何か質問の内容についてもまともに答えられてなかったような気がするのですが…(汗)まあ、すみません、というかありがとうございました。僕の方は書く方向が定まりましたので、ちょっと書き留めておこうと思います。
そもそも「無様」って何か?って言うと…
自分で貫こうとした事、決意した事を、自分の意志で曲げてしまう事を僕は「無様」と言っています。「ノーボーダー」の議論にあるように差別しないと決めたのに、どうしても差別してしまうのだとしたら、それは「無様」なんでしょうね。さらに、差別しているにも関わらず自分は差別していないと思い込んでいたなら、もっと、ひどく「無様」という事になるでしょうね。自分が「無様」を認識できるのは、それに気づいた時だけですが。
その意味で「無様」には、「さらしていい無様」と「さらしてはいけない無様」があるとは思います。ここでの話は最終的に「さらしていい無様」の話にまとまると思いますが、「さらしてはいけない無様」の話は一々論うと長くなるので今回は割愛します。まあ、これはそれぞれの品性や美意識が問われる問題ではあるのでしょうね。
「無様」には目的によって様々なパターンがあるはずです。はずって言うのは、僕はあまり“他の目的”を突き詰めた事はないって事ですが、おそらく“目的”によって、さらす「無様」の形も違ってくるはずです。突き詰めていけば結局人間、何らかの「無様」はさらす事になるんじゃないかと思っているのですが………何の目的も持たなければ(この話に沿った)「無様」をさらす事はないですね?また、必ず実行できる目的しか持たなければ、やはり「無様」はさらさないですね。
しかし、人間そうそう目的を持たない事、即実行可能な事しか思わない事ってのは、できる事ではないと思う。真に一切の目的を持たない状態って“悟り”を開いたような状態じゃないかと思うし、「無様」をさらさない為に目的を持たない、あるいは実行可能な目的に限定する(持つ目的を制限する)なんて事を考えるとしたら本末転倒だと思う。その意味では「無様」をさらす事を恐れるのが最も「無様」と言えるかもしれません。
…で、こういうのは僕自身の目的を例に挙げて喋る方が分りやすいですね。僕の目的は「「物語」をより楽しむ事」です。(←これ、何よりも優先する第一目的か?と問われると、僕は「いや、そうではない。都度考える」と答えるのですが、まあ、それは別の話として…)これ、単純な話で、僕なんかは子供の頃、マンガ、アニメの面白さに衝撃を受けた人間なので、もっとマンガを読みたいと考えた。→次々読む。→そのうち、マンガをもっと楽しむにはマンガ以外の物にも接する(主に小説とか映画とかね)必要がある事に気がつく→それにも接する→その世界もまた楽しく、また実際にマンガを楽しむ事に還元できる事を知る。→これねえ…生い立ちを語ると絵に描いたようなオタク人生で、恥ずかしいったらないんですけどね(汗)まあ、ともかくそうこうする内に、僕の目的は単にマンガ、アニメから「「物語」をより楽しむ事」に調整されていったワケです。
そうやって「物語好き」として生きていたら、ある日ふと思ったんですよね。いや、単に本屋で知らないマンガを手にとってそのまま本棚に戻しただけなんですが…「あれ?今、俺なんでこのマンガ(物語)読もうとしなかったんだろう?」って。自分で自分に「マンガ好き」って言ってなかったっけ?しかも、より楽しみたい。もっと知りたい。と心に決めたのに、何で(読んでもいない)マンガ区別しているんだろう?…というかね。アニメとかでもそうですね。僕は今、リアルタイムで放送しているアニメを出来るだけ録って観ているのだけど、でも、同時にかなりのものを“切っている”。「サザエさん」とか「ドラえもん」とか「クレヨンしんちゃん」とか、まずほとんど観てないんですよね。…何で観ていないんだろう?って思うんですよね。「お前、アニメ沢山観るって決めてなかったっけ?」と。
マンガもね。学生時代は部室に行けば仲間が買ってきた多種の雑誌が勝手に散らばっていたのでそれを勝手に読んで行きました。しかし、仕事に就いて関東に引っ越して来た時にその環境は失われて……いろいろ考えて、ずっと続けていた週刊少年誌4誌に絞りました。お金が無いから…とか、時間がいっぱいいっぱいで……とか時々、言い訳言いますけどね(汗)打ち明けると、実際に本当に限界か?というと、そんな事ないです。まだ全然やれる。やれます。でも、様々な事を考えて、それを止めてしまう。“自分で決めた事”なのに……。
……「無様」だ。
お前という人間をふり返った時に、誰がどう観ても“それしかない”人間なのに、それがこの在り様か?と。誰かと比べたら多いとか少ないとかじゃない。お前自身が、自分で決めた事を本当に忠実に実行していると胸を張れるのか?と。
でも同時に「無様」だろうと何だろうと、それをさらしてやって行くしかないんですね。最初に言ったように「無様」を隠すためにそれを止めてしまうのでは本末転倒。だから、自分で決めた事も真っ当にできない無様をさらして、自分で決めた事をやっていくしかないんですよね。少なくとも僕の場合。
ただね。この「無様」を認識するようになってから、いや、正確にはその「無様をさらす決意」をしてから、非常に気持ちが落ち着くようになったというか……謙虚な気持ちになったんですよね。…………いやいやいやいや…何を疑ってるんですか?(汗)以前から言ってるでしょう?私はとても謙虚な人間だと!!(`・ω・´)だと!!
【観客として】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/099a5770473f38a2a6d6276784366ba1
(↑)以前、僕がインターネットで「物語」の話題を募るサイト/「物語」をゆったりと楽しむ心(漫)を研ぎ澄ます(研)サイトとして作った「漫研」の立ち上げの際に書いた決意表明(もう12年前になるのかあ…)を、さらにこのブログの立ち上げ時に転載したものですが……何というか、理屈/ロジック的に到達した、つまり多少理屈先行な所があったこの決意文に対して、「無様」を知るようになってから(「漫研」立ち上げて少し後の話ですね、丁度、就職が決って働き出した頃だから)、ようやく心象もこれに収まった(少なくとも近しいものになった)というか…割りと腹くくった感覚にはなっているんですよね。
だから今は「無様」を知り、それと上手くつき合って行くのはけっこう有用な事だと思っていますし、これもまた「物語を愉楽」するために必要な姿勢なのだろうと位置づけて語っています。
どう有用かっていうのは、もう大分長くなったので、別の機会にしようと思います。…というか、この話はむしろ、別の話題に織り交ぜて述べて行く事になると思いますので、僕の話を聞く時には、ちょっと心に留めておいてくれるとありがたい…かもしれません。
【SomethingOrange生放送:「ノーボーダー」について その1】(音声)
http://www.websphinx.net/mv/radio/somethingOrange-100307-1.mp3
【SomethingOrange生放送:「ノーボーダー」について その2】(音声)
http://www.websphinx.net/mv/radio/somethingOrange-100307-2.mp3
【「分らなくても楽しいよね」という話】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/41aae9d1d7e6cb30711cc0cb515e655b
海燕さんが最近提唱した「ノーボーダー」の話題について、おたく側から観えるもの話をいろいろさせてもらいました。それでその中の話題で出てきた「無様」に関する話をもう一歩深く文章で書き起こして起きたいなと思い、ちょっと頭の中を整理していたのですが、これがなかなかどこから書いたものかまとまらなかった。
そんな所、ニコ生をご一緒したsajikiさんと、それからsajikiさんの友人LeQさんからスカイプを通して声を掛けられて(※すっと、声を掛けて来て下さって、嬉しかったのですが、スカイプ導入の恩恵というか、このアクションの軽さが「ノーボーダー」の話の肝のような気がするのですが、それはまた別の話というか海燕さんにパス(´・ω・`))ニコ生での話/疑問点をもう少し聞かせて欲しいと。…で、「無様」の話をして欲しいと言われて、ちょうど頭の中の整理中だったので、思わずその場で考えている事を、ドバドバ~~~~~!!と喋らせてもらいしまうました。思い返してみると……ぶっちゃけドン引きされてたような気がするし(´・ω・`) 何か質問の内容についてもまともに答えられてなかったような気がするのですが…(汗)まあ、すみません、というかありがとうございました。僕の方は書く方向が定まりましたので、ちょっと書き留めておこうと思います。
そもそも「無様」って何か?って言うと…
自分で貫こうとした事、決意した事を、自分の意志で曲げてしまう事を僕は「無様」と言っています。「ノーボーダー」の議論にあるように差別しないと決めたのに、どうしても差別してしまうのだとしたら、それは「無様」なんでしょうね。さらに、差別しているにも関わらず自分は差別していないと思い込んでいたなら、もっと、ひどく「無様」という事になるでしょうね。自分が「無様」を認識できるのは、それに気づいた時だけですが。
その意味で「無様」には、「さらしていい無様」と「さらしてはいけない無様」があるとは思います。ここでの話は最終的に「さらしていい無様」の話にまとまると思いますが、「さらしてはいけない無様」の話は一々論うと長くなるので今回は割愛します。まあ、これはそれぞれの品性や美意識が問われる問題ではあるのでしょうね。
「無様」には目的によって様々なパターンがあるはずです。はずって言うのは、僕はあまり“他の目的”を突き詰めた事はないって事ですが、おそらく“目的”によって、さらす「無様」の形も違ってくるはずです。突き詰めていけば結局人間、何らかの「無様」はさらす事になるんじゃないかと思っているのですが………何の目的も持たなければ(この話に沿った)「無様」をさらす事はないですね?また、必ず実行できる目的しか持たなければ、やはり「無様」はさらさないですね。
しかし、人間そうそう目的を持たない事、即実行可能な事しか思わない事ってのは、できる事ではないと思う。真に一切の目的を持たない状態って“悟り”を開いたような状態じゃないかと思うし、「無様」をさらさない為に目的を持たない、あるいは実行可能な目的に限定する(持つ目的を制限する)なんて事を考えるとしたら本末転倒だと思う。その意味では「無様」をさらす事を恐れるのが最も「無様」と言えるかもしれません。
…で、こういうのは僕自身の目的を例に挙げて喋る方が分りやすいですね。僕の目的は「「物語」をより楽しむ事」です。(←これ、何よりも優先する第一目的か?と問われると、僕は「いや、そうではない。都度考える」と答えるのですが、まあ、それは別の話として…)これ、単純な話で、僕なんかは子供の頃、マンガ、アニメの面白さに衝撃を受けた人間なので、もっとマンガを読みたいと考えた。→次々読む。→そのうち、マンガをもっと楽しむにはマンガ以外の物にも接する(主に小説とか映画とかね)必要がある事に気がつく→それにも接する→その世界もまた楽しく、また実際にマンガを楽しむ事に還元できる事を知る。→これねえ…生い立ちを語ると絵に描いたようなオタク人生で、恥ずかしいったらないんですけどね(汗)まあ、ともかくそうこうする内に、僕の目的は単にマンガ、アニメから「「物語」をより楽しむ事」に調整されていったワケです。
そうやって「物語好き」として生きていたら、ある日ふと思ったんですよね。いや、単に本屋で知らないマンガを手にとってそのまま本棚に戻しただけなんですが…「あれ?今、俺なんでこのマンガ(物語)読もうとしなかったんだろう?」って。自分で自分に「マンガ好き」って言ってなかったっけ?しかも、より楽しみたい。もっと知りたい。と心に決めたのに、何で(読んでもいない)マンガ区別しているんだろう?…というかね。アニメとかでもそうですね。僕は今、リアルタイムで放送しているアニメを出来るだけ録って観ているのだけど、でも、同時にかなりのものを“切っている”。「サザエさん」とか「ドラえもん」とか「クレヨンしんちゃん」とか、まずほとんど観てないんですよね。…何で観ていないんだろう?って思うんですよね。「お前、アニメ沢山観るって決めてなかったっけ?」と。
マンガもね。学生時代は部室に行けば仲間が買ってきた多種の雑誌が勝手に散らばっていたのでそれを勝手に読んで行きました。しかし、仕事に就いて関東に引っ越して来た時にその環境は失われて……いろいろ考えて、ずっと続けていた週刊少年誌4誌に絞りました。お金が無いから…とか、時間がいっぱいいっぱいで……とか時々、言い訳言いますけどね(汗)打ち明けると、実際に本当に限界か?というと、そんな事ないです。まだ全然やれる。やれます。でも、様々な事を考えて、それを止めてしまう。“自分で決めた事”なのに……。
……「無様」だ。
お前という人間をふり返った時に、誰がどう観ても“それしかない”人間なのに、それがこの在り様か?と。誰かと比べたら多いとか少ないとかじゃない。お前自身が、自分で決めた事を本当に忠実に実行していると胸を張れるのか?と。
でも同時に「無様」だろうと何だろうと、それをさらしてやって行くしかないんですね。最初に言ったように「無様」を隠すためにそれを止めてしまうのでは本末転倒。だから、自分で決めた事も真っ当にできない無様をさらして、自分で決めた事をやっていくしかないんですよね。少なくとも僕の場合。
ただね。この「無様」を認識するようになってから、いや、正確にはその「無様をさらす決意」をしてから、非常に気持ちが落ち着くようになったというか……謙虚な気持ちになったんですよね。…………いやいやいやいや…何を疑ってるんですか?(汗)以前から言ってるでしょう?私はとても謙虚な人間だと!!(`・ω・´)だと!!
【観客として】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/099a5770473f38a2a6d6276784366ba1
あと「群盲象を撫でる」のたとえ話は気に入ってますw僕はこの世界の盲人なんだけど、それでもやっぱり“象”を知りたい。そして“象”を知りたいと思ったら、自分にとっての“象”がどんな物かを言葉にして発し、そして他の人にとっての“象”がどんな物か耳を傾ける。…それがどう考えても“象”を知る事の近道なんですね。
(↑)以前、僕がインターネットで「物語」の話題を募るサイト/「物語」をゆったりと楽しむ心(漫)を研ぎ澄ます(研)サイトとして作った「漫研」の立ち上げの際に書いた決意表明(もう12年前になるのかあ…)を、さらにこのブログの立ち上げ時に転載したものですが……何というか、理屈/ロジック的に到達した、つまり多少理屈先行な所があったこの決意文に対して、「無様」を知るようになってから(「漫研」立ち上げて少し後の話ですね、丁度、就職が決って働き出した頃だから)、ようやく心象もこれに収まった(少なくとも近しいものになった)というか…割りと腹くくった感覚にはなっているんですよね。
だから今は「無様」を知り、それと上手くつき合って行くのはけっこう有用な事だと思っていますし、これもまた「物語を愉楽」するために必要な姿勢なのだろうと位置づけて語っています。
どう有用かっていうのは、もう大分長くなったので、別の機会にしようと思います。…というか、この話はむしろ、別の話題に織り交ぜて述べて行く事になると思いますので、僕の話を聞く時には、ちょっと心に留めておいてくれるとありがたい…かもしれません。
物語愉楽論というよりLDさんの物語の読み解き方がわかりやすくなるということかな。
いずれにしても、この前のスカイプで半分、今回の記事で半分さらに理解が深まったように感じます。
それに対する返答はまだ僕の中で言語化されていませんが、それはそのときにまた…
あ、よかったですwちょっと気にしてました(汗)
この文、書いている内に量がえらく増えて、煩雑になってきたのでかなり切ってまとめたんですが、読み返してみると切り過ぎてしまった感もあり、もう少し「無様」主体の話を書こうかなとも考えています。
>それに対する返答はまだ僕の中で言語化されていませんが、それはそのときにまた…
また何か機会を作って、今度はsajikiさんの「物語」への姿勢とか、あるいは他の目的の話とかを聞かせて下さいね。