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『ジョーカー』~作者と読者が勝負するフィールド

2011年02月03日 | 小説
【メタキャラクター】

ジョーカー清 (講談社文庫)
清涼院 流水
講談社

ジョーカー涼 (講談社文庫)
清涼院 流水
講談社

『ジョーカー』(清・涼)(作・清涼院流水)を読みました。推理小説家たちの集まり関西本格の会の合宿先で“芸術家”と名乗る殺人犯が、推理小説の構成要素30項目を網羅しようとしているような?していないような?そんな殺人劇。感想書こうかとも思っていたんですが、よくよく考えると推理小説のネタに触れちゃいかんですね。(´・ω・`)(←よくよく考えなくてもな)
…これぐらいなら言ってもいいかな?この話、冒頭で、凄く大仰に挑戦状を叩きつけてくるんで、何ごとかと思い、それなりに色々考えながら読み進めたんですが、結局、僕はその挑戦の意図に気づく事ができませんでした。また、この物語は、あるトリックを説明する為の工夫が為されていて、そのアイデアがこの小説の肝かな?という気がしました。

…で、何でこの本を読んでいたかというと、僕が(↓)ブログの記事などで『メタキャラクター』の話をしている時に、海燕さんから「なら、清涼院流水の『ジョーカー』を読むとよい」と言われたからなんですけどね。

【メタキャラクター】戯言シリーズ~いーちゃんの物語

【メタキャラクター】戯言シリーズ~西東天の物語

読んでみたら、モロに“メタ探偵”とか出てきますしね。ちょっと押さえておく必要があったなと思いました。また『メタ視点』に関して言うと、ミステリーは様々な角度から非常にそれが生まれやすい状況にあるなと思います。そこらへん考えていた事を、ツイッターで harinomushiro さんと話していたら、AshさんにTogetterにまとめてもらえました。(↓)それをちょっとこの記事上にリライトしておきます。

お気に入り..本格ミステリの「納得度」を担保する物語構造とは

元々、物語の『作り手(送り手)』と『受け手』は、勝負をしている関係にある…という観方があると思います。勿論、ある一面を写しだした事に過ぎないですが、それでも受け手が、その『物語』を面白い!と思ったら『送り手』の勝ち?逆につまらないと思ったら『送り手』の負け?……う~ん、あんまり普通の物語で、勝ったの負けたの、書いてしまうと話がおかしな方向に行ってしまいそうなので、ある一面に過ぎないと念押しして、ここで止めますが。
これがミステリーの場合、少なくとも読者に解ける問題を作者が書いている場合、かなり明確にそれは『送り手』と『受け手』の勝負と言えると思います。そもそも、上に挙げた『ジョーカー』冒頭の読者への挑戦状などは、ミステリーでは定番の見栄きりの一つでしょうけど、他のジャンルではまずなかなか見られる事のないものでしょう。挑戦とは文字通り「戦いを挑んでいる」のです。

たとえば通常の『物語』に対して「驚いた」とか「納得した」といった判定はある意味困難です。そう感じる事は受け手の“感受性”に多くを委ねられていてバラバラで当然。これが勝ち負けで「驚いたら負け」だとしたら「驚かなかった!」と言い張れば済む面がありますよね。
これに対してミステリーは“勝負”に特化してる側面があって判定をしやすい。意外な犯人に「驚かなかった」としたいなら、受け手は叙述より先に犯人を予想し的中させていなくてはなりません。また、暴かれたトリックに「納得しなかった」としたいなら、そのトリックの不備を明確に指摘する必要があります。そのミステリーという『物語』が成功したか失敗したかは“比較的”はっきりし易い。

また、色々、逆説も並び立てられますが『ノックスの十戒』や『ヴァンダインの二十則』が、ミステリー上の禁則事項として、ある程度の納得を以て迎えられているのは、それがミステリーが勝負の側面を持っているからに他ならない。
勝負では無いなら、物語とは楽しませたものが勝ち(?)というか、面白ければそこに禁忌は無い…と大抵言えるはずです。しかし、ミステリーはそうではない。あくまで楽しませるフィールドが勝負の範囲内であるならば、その勝負がフェアなものである事が検証される必要があるワケです。

では、ミステリーは他の小説とは違う特殊なジャンルの事なのか?というと、そうとも言えるんですが、それは違うとも言えます。
ミステリーの勝負付けの内容をよくよく思い返してみると、必ずしも謎解きの辻褄がキッチリ合う…というだけではない面が分かってきます。畢竟、謎解きは“驚き”と“納得”を得ることができれば、必ずしも論理的、科学的、整合性を持っている必要はないようなんです。ここは詳しくは語りませんが、分かる方は分かるかと思います。
そして、そのパターンは普通の人が、普通の事に面白さを感じる…少なくとも『驚き』と『納得』が求められるフィールドにおいては全く同じものだと言えます。こう言った所を、分析して行くと、通常の物語の構造自体の理解度が深まるかな?などと考えたりしていますねw

また、ミステリーは既知の事を逸脱しない現実的な範囲に、その事象は制限されているにも関わらず。主人公(探偵)たちの周りでは、奇っ怪な(読者の興味を惹く)事件が起きなくてはならないという、ある種の背反がある。
こういった歪(いびつ)な状況から、さらに“受け手”を出し抜くための意図と正体を明かされない展開で、さらにその形状を入りくねったものに作られて行く。これが醸成されてくると、この中では『メタキャラクター』は元より、他の事象なども見いだせるかもしれないな~?などと考えました。

そんな所で、まあ、今述べたような事を主眼において、しばらく、ミステリーを読み漁ってみようと思っています。