これは大学時代に私が読んで、センセーショナルを感じた本です。
たいていの本は、1回読んだらそれきりというのが当たり前ですが、それから何度も読んでしまうというパターンはそんなにないのですね。
本好きの人でもそういう人は10人もいないのではないでしょうか? そういうパターンの稀有な例です小此木氏は。
この人の分析においては、現代人は、どんな社会的な局面でも当事者意識がなかったり、当事者になることを嫌い、それぞれの場所でできるだけお客様気分でいることを好むようになる、ということですね。
誰かに世話になったり、頼ったり、自分はその責任者になるだけの力がないか、あってもその立場を取ろうとしないということですね。
自分が国を作り、運営するという当事者意識を持つ人に比べて、国のサービスのみを期待する国民の方が圧倒的に増えているということですね。
それは、戦後の焼け野原に放っておかれた人と、すでに衣食住が何の不自由もなく供えられた人とでは、当然精神内容において違いが出てくるのは当然でしょう。
それをあからさまにしたわけですね。
そういう後者の環境で育った人間は、やはり相対的に我慢強さがない、というのは当然ですね。
機械が生活を覆っているわけですから、どんなことでも自分のいいように動かないと気が済まないような人間が大勢出てくるのは間違いないです。
そういう人間は脳が全能感に覆われているのですね。
そうならないためにはどうすればいいか?
簡単です。
そういう便利さから遠ざけることです。
それは父母が子供に施す教育もさることながら、父母自身もそういうことから自主的に遠ざかることが大事でしょう。
子供には便利なことはさせない、しかし自分はそういうことはする、というのでは子供は反発心を抱くだけです。
そのような便利な生活は享受するのは良いでしょう。
しかし、それは毎日毎日していては、その便利さが当たり前になってありがたみがなくなるし、健全なる人間性の育成には邪魔なのです。
このモラトリアム人間は、内部志向、他人指向といったように時代の変遷とともに、人間の精神内容が変遷していくといったデヴィッド.リースマンの『孤独な群衆』と符合します。
D.リースマン
いまは他人に自分の生活の志向を合わせる他人指向型が増えているということです。
小此木氏が言うモラトリアム人間にしろ、他人指向の人間にしろ、現代はこの両者を対象にマーケティングを中心にしているのです。
それが中心事であるならば、それを模倣していろんな企業がそのマーケティングをしていくことになり、その方法が積み重ねられ、そういう人間が増幅してしまうことになります。
1人1人の好みに合わせた製品を作るのと、同じ製品を大量に作るのでは後者の方が、経費も少なくて少量の時間で大量に作ることができるのです。
日本が明治期に短期間で列強の仲間入りできたのは後者の方法を採択できた面が大きいのですね。
皆が同じものを好む国民性ゆえに。
そういう人間が増えることで、やはり人間というものはそれで安心してしまい、その内容を吟味することなく模倣することで満足してしまうのです。
それはやはり茹でガエルのように、自分がわるい方向へいっているにもかかわらず、気が付かないまま良くないほうへ何年も何十年も過ごしてしまう。
これは怖いことですね。
歯止めをかけなくてはならない。
このリースマンが曰く、内部指向だからよくて、外部志向だから悪いということではないと他のインタビュー本で書いていたのを思い出します。
小此木氏も、いつもの事ながら、どの本でもこうすべきだといった当為は書かないのですね。
しかし、そこに価値観なりの付与はすべきではないかと思われてえならないですね。
あまりに、国家や社会に対する関心がなくなって、そういうものを良き方向へ持っていくという創造力が持てなくなってしまうのならば、悪い点がおざなりになってしまったままで終わってしまうのですから、それはよくないでしょう。
地方から東京を中心とした首都圏の移住し、そこで快適ライフを送ることにしかほぼ頭がない。
人がどういう人生を送るかは自由ですが、その自由だけを大幅に認めてしまったら、やはり負の側面はおざなりになったままで終わってしまうのです。
その結果、地方は働き手に困り、経済は疲弊し人の住まない集落だらけになってしまっているのです。
東京では30階だてや50階だてのマンションが新築されて売りに出されると、すぐに満室になってしまう。
不動産関係の仕事にいたことがあった私はそういう例を幾十も観てきました。
こんなことは地方では考えれないことです。 社会をよくする、そういう気概のある人であればそんなことは考えないものです。
確かに政治活動や、薬品や他の製品などを研究してその製品が本当にいいものかどうかを吟味してその悪さについて暴露する。
あるいは、更によきものを開発するという、こういったいい意味での創造性を持った人はやはりモラトリアム人間にはできないことでしょう。
そういう創造力のある人はどの世にでもいます。
今も当然いらっしゃいます。
そういう人が多ければ多いほどいいのは言うまでもないです。 だから現代になればなるほどそういう人が少なくなっていくというのが正しいのならば、それに歯止めを利かすことが大事でしょう。
そのためには、やはりこういった精神分析学といったたぐいの本は誰もが読むべきでしょうね。
その内容を吟味して、国家のために社会のために創造性を磨く、と奮起する人間を作るにはどうすればいいか。
私の経験から言えば、やはりこういった本を読むことではないでしょうか。
そんなことで…と思われる向きもあることは百も承知ですが、かといって漫然とした生活だけで出てくるとは思えないです。
そういう心持をしている人物にばったり会って、その価値観を植えることが出きたということもあるでしょうし、そういう偶発的なこともあることは間違いないでしょう。
しかし、確率としては本を読むことの方が、高いことは言うまでもないでしょう。
ゆえに、このようなブログで、そういう意義のある本を多々紹介しているのです。
この本の初版は78年という昔にもかかわらず、今も版が重ねられて新品で入手可能というから凄いですね。
それは、今でもこの本の内容が現代人に当てはまり、その問題点を探す手だてになっているからという口コミが多々あるからと思われて仕方ないです。
同じ人間を対象とした学問であるからには、文系だろうが理系だろうが、あるいは政治学や経済学や心理学といった専攻の違いだのは関係なく読んでおくべき本でしょう。
また大学に行ってようがいまいが、どんな人でも読むべきでしょう。 そんな難しいことはここには一切書かれていないのですから毅然とした態度で読んでもらいたいものです。
モラトリアム人間が人類のどの時期に発生するようになったか、どのような社会の変容でなったか、といったことはこの本を実際によむことでわかりますし、自身で読んでもらったほうが興味深いし面白いのでその方を勧めます。
●この本は以下よりどうぞ!
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※参考ページ
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リースマン 『孤独な群衆』
http://hair-up3times.seesaa.net/article/410251012.html?1588382589
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