池田潔 『学生を思う』

2020-05-29 14:13:16 | 思想

この著者は、イギリスドイツの大学に留学したがゆえに、それから帰国して日本の大学の教員に就職したので、西欧の大学生とこちらの大学生のパーソナリティや勉学に対するスタンスを、ほぼ対比の構造でとらえているのですね。

大学という最高学府にいながら、体育の課外活動にいそしんで、講義にはほとんど出席しないで4年間を過ごし、それで卒業できる日本の大学制度に疑問を感じることをつまびらかに述べています。

また、勉学にやっといそしめるようになったら、サークル活動ばかりにいそしんで、一方的になってしまいどっちつかずの状態になることをも疑問を呈しているのですね。

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その気持ちはよくわかります。

私も、大学時代にほとんど出席せずにいる周りの大学生に疑問を感じていました。 これまで多くのお金を費やして予備校に行って、ようやく大学に入ったにもかかわらず、遊び呆けている大学生の親不孝ぶりに頭にきていました(笑)

何故なら、1コマの講義の値段は、予備校のそれと変わらないか、それ以上なのは明白なのです。

1コマの講義をサボることで、2000円以上のお金が無駄になるのです。

そうことを平然として、年末の試験の時だけ勉強し、そのために友人からノートを借りて、コピーをして、それを勉強して終わり。

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実にもったいないです。

しかし、ちょっと距離を置いて考えれば、それはその人の親でない私がとやかく言うべきではなかったですし、心底自分から勉強したいという欲求がないのに無理やりさせても3日坊主になることは必至です。

しかし、大学卒業後に知ったことですが、本を読んだり、文字を書いたりするのが好きな人の割合は古今東西変わらぬ比率で、全体的に好きな人は少ない、ということですね。

これはアメリカの哲学者であるウィリアム.ジェイムズから知りました。

そういった事情で、やはり勉強にいそしむ人が少ないんだということがわかりました。

私のいった大学は中より高いところでしたが、やはりアンケート結果で、履修した教科のうちどれくらい出席しているかという質問にたいして、大体1割前後というのが大半でした。

まあこの著者が行った西欧の大学生は日本のとは違って,非常に勤勉なのは有名です。

それは、大学の勉強がその後のキャリアに直結しているからですね。

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大学院に行く、あるいは司法生になるというような感じですね。

しかし日本の場合、大学の勉強がそのまま直結しないがゆえに、そんなに勉学に励まないのですね。

その違いを認識していかないことにはやはり、危険性が伴うことは間違いないですね。

この著者は、「学業にいそしめないなら大学を去るべきである」と書いていますが、それは行き過ぎではないかと思われてならないですね(笑)。

先に挙げたウィリアム.ジェイムズのいった言葉を知っていれば、そんなに憤ることではないと思えるようになりましたし、本を読んだり、文字を書くことに楽しみを覚えないでもできる仕事はいっぱいあるわけですし、怠惰だった大学生が卒業後も怠惰かとうとそんなことはなく、やはり勤勉に仕事を全うしているのが大半です。

やはり勉強が好きな人は少数派なのです。

それは、ブライアン.カプランというアメリカの大学教授の書いた『大学なんて行っても意味はない?』という本を読んでもわかったように、日本のみならずアメリカでも事情は変わらないようです。

この『学生を思う』の著者が留学した当時とは違って今のアメリカの大学は大衆化していますから、どの大学もエリート養成の場ではなくなっているのですね。

大学での勉強を重視する立場の人の心はわかります。

そこで学ぶ内容は、世のなかをよくするための理論を学ぶわけですから。

その内容を学び、そこで得たことがらを実際の生活で行動していけばいいことに違いはないです。

そういう人が多ければ多いほどいいのはいうまでもないです。

大学で学んで、いいと思ったことは、実際の生活で今も実行しています。

洗剤の多量使用は環境に良くないですから、環境に良いものを買って使ってますし、なるべくまとめて洗浄するようにしてします。

家庭内で出た生ごみは、清掃工場で燃焼させることで大量の石油を使い、燃やすことで二酸化炭素を出しますから、すべて土に埋めています。

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そうすることで、土内のバクテリアが分解してくれた上に、栄養素になりますか環境に良いことであるに違いありません。

また、メーカーが使用している有害物質が人体によくないことを知っているわたしは、そういうものを使用しているメーカーに直接メーカーにメールをして使用することを戒めることを訴えています。

それが受け入れられて即実行に移されることはないですから、その危険性についてブログなどで発信したりなどしています。

また、政治家に対して、盲点になっている部分に関して、直接メールして示唆しています。

その他、人間力の向上のために、常にその分野での向上を心がけています。

そういう努力を絶たないでいます。

こういった努力をする人間を作り出すことがそもそもの学問の目的であるはずです。

こういった事を書いてある本をほぼ毎日のように読んでいたからこそ、学者の人たちは、問題点が見えているはずです。

そのために多くの人が努力する、行動することが大事であると精神分析学の祖であるフロイトは感じていたのでしょう。

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 フロイト

ゆえにフロイトは、日々、社会をよくするための行動をしない人とは付き合えなかったといいます。

しかし、このような行動に国民全員を駆り立てるのはかなり難しいでしょう。

何故なら、問題点は本を読むことで初めて知ることが可能になる性質のものだからです。

しかも何十、何百という冊数をです。

そして、本を読むことの利点は社会の問題点を見つけるというにとどまらず、自分の健康や経済生活をよくするという利点もあるのです。

ダイエットや健康などは、漫然とした生活で達成できるものではありません。

やはりその分野の本を読んで、そこに書いてある内容を理解したうえで、実行に移すことで叶うものです。

食べるもの、飲むもの、エクササイズ、睡眠時間、その他すべきこと、してはならないこと…etc多岐にわたります。

それを脳内に叩き込んで、それを実行に移すことで叶うのです。

1冊の本だけでは、多角的に物事を観れませんから、その分野に関する本を人によっては20冊は読むべきだという人もいるくらいですが、その通りですね。

健康もそうです。

単に心の中で健康になりたいと願っているだけではかないませんから、やるべきこと、やってはならないことを多岐にわたって勉強し、実行することが何よりも大事なのです。

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しかし、読書家の人には信じれないでしょうが、本を1冊読むだけで、もう精神疲労を起こしてしまう人の方が多数派なのです。

そのことは、ウィリアム.ジェイムズ浅羽道夫氏の本を読んで初めて知りました。

それゆえに、大学に入ってもほとんど講義に出席しない人がほとんどなのか、ということが分かった次第です。

ですから、このような日々本を読んで、それに書いてある問題点をよく方向へ変えるための行動に、国民全員に駆り立てたせるのは無理というものでしょう。

それが可能ならば、直接民主制も可能でしょうし、官僚もいらないでしょう。

しかし、それは無理であるから、問題点は残存したまま放り置かれるのでしょうし、そういったことが可能な人を国が必要としているのです。

事、人間関係にしても、国民の全員が毎日、本を主体的に読むようになったら、人間関係で悩む人はいなくなることは間違いないでしょう。 しかし、たとえそれが叶っても、人の心に無関心なまま生涯を終える人もいますから、そんな人が人間関係改善のための本を読んでも行動に駆り立てることはないでしょう。

そして、だれもが人間関係に気を遣うようになれるのなら、そういったサイコパスな人間もいなくなるはずですが、それも不可能なことです。

ゆえに知的な武装が必要なのです。

そこでも本が必要になるのですね(笑) サイコパスの生態について書いた本を読むことが大事になります。

ですから、どの人間にも学者のような生活を期待するのは不可ですし、望まない方がいいでしょう。

たとえ、そのようなことが可能としても、多大な労力を必要とするのです。

英語の勉強は普通の人なら中学校から高校まで6年間勉強します。

それだけ勉強して、それから大学受験のための勉強をすれば、もう1度勉強すれば、ほぼ暗記状態になるだろうと思われがちですが、実際はそうではないのです。

ある外国語習得について書かれた本を読んだところ、大学の英語の先生でも、単語や文法、熟語等を忘れないように、毎日小説を読み、音読もし、レコード等を聴いていくということをしていかないといけないそうです。

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これには驚きました。

でも私も思い当たる節があります。

大学受験のために使っていた英語の初歩的な問題集を、卒業から何年も後に棚から取り出して回答したところ、正答率は30%でした(笑)

一番得意だった英語ですらこのレベルになってしまうのか、と愕然とした思い出があります。

これは極端ですが、やはり本を読むといっても、その書いてあった内容を忘れないためには、これまた多大な努力をしなくてはならないことなのですね。

読む、書くといった作業以外にも人と話す、議論を重ねるといったフィードバックが必要なのです。

ですから、そんな生態をすべての人に求めるのは無理というものでしょう。

しかし…しかしですが、それで諦めてしまっては、学問の存在意義がないのです。

その学問の重要性、いや必要性といった方がいいでしょうが、それについて体感している人がいるのならば、そのスタンスをなくしてはならないと思いますし、それは継続しないといけないでしょう。

またしていない人ならば、今からどんどん本を読み、そこで書かれていること、あるいはそこから喚起された大事なことは、日々実行していくべきでしょう。

そんなことを私は思っているのです。

そういったスタンスが大事であると思っているのですが、諸般の事情ですべての人にその理想を課すのは無理と考えています。

でも、それに同情してくださるかたは実行しましょうということです。

●この本は以下よりどうぞ!

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学生を思う (1966年) (講談社現代新書)

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