「是界」という能があります。
これがね、カッコいいんですよ。
話は、中国で僧侶をたぶらかしまくって、イケイケGo!Go!だった天狗の是界坊が来日。愛宕の太郎坊と徒党を組んで、日本の僧侶の本丸、比叡山へ乗り込むも、日本の神様スゴ過ぎて、是界坊、転びまろんで退却。というものです。
かなりの強度で、天台宗、および日本万歳!な内容で、これを普通にメディアにのせたら、あっというまに国際問題に発展しかねない問題作であります。
その辺は、作られた当時の大人の事情とか、電通的ななにかが働いていたことと思われますが、現在も上演されるということは、時代を超えた何かを内包していることは確かで、面白い作なのですよ。
まず、この能、なにがスゴいかというと、シテ(能における主役)が直面(能面OFF)で出てきます。
能面というのは、通常、真人間でないものが、「私は人間ではありません。」という記号として、演者が装着します。ちなみに、ここで言う真人間というのは、成人男子のみです。つまり、女、子供、老人は、人間ではありません。これは、話すと長くなるので、今は説明しませんが、とにかく、成人男子以外の役は能面を着ける、ということになっています。
是界坊は天狗ですから、本来は能面を着けてしかるべきなのですが、ここは直面。
たいてい能面をつけて出てくるシテにとっては、恥ずかしさ1000%の羞恥プレイです。
天狗が普通の人間に化けてやってきた、という設定なので直面なのですが、直面が能面、本当はその下に天狗の形相がある、そんな、ほかの能には見られないカラクリで、もう、のっけから心を鷲掴みです。
そして、いざ比叡山に殴り込み~。
中入り(本性を現すために、いったん引っ込む。)後に出てきた是界坊のカッコいいことったら、直面からのギャップがすごくて、腰抜かしますよ。もう、目が覚めるような展開です。まぁ、負けちゃうんですけどね。
負けちゃうんですけど、是界坊、めっちゃカッコいいんですよ。やられて、飛ぶ力もなくなっちゃって、這ふ這ふの態で逃げ出すんですが、堂々としてます。負けて、血が出るくらい唇噛み締めてるみたいな感じです。ジーン・シモンズです。
昔の人ならいざ知らず、少なくとも、私は「日本の神様はすごいなー!」なんて感想は持たないですね。
日本にいる神や仏に取り囲まれ、僧侶の誘惑に失敗し、逆に散々な目に遭う是界坊。
「もう、こんな国には、二度と来ねぇ!」と、言い捨てて、雲間に消える是界坊。
それは、淡々としたワキ(脇役)の風体との対比で、実に躍動的でイキイキしている。
天狗は一般に悪者です。
しかし、天狗は山の神でもあります。山とセットで恐れ敬われる存在でもあるのです。山という日常ではない場所において、人は理解できないことを、すべて天狗の仕業としました。山にそびえる大きな木は、天狗の住処とされました。山で悪いことをすると天狗にお仕置きをされると考えました。
天狗は自然そのものなのです。その存在は非日常であり、それは、人間が社会で生きていくうえで必要な常識の反対にあるものでもあります。
つまり、天狗はロックな存在なんであります。やっぱり、ジーン・シモンズです。
そんなロックの魂に心を揺さぶられ、従来の僧侶たちに反発する形で生まれた山岳信仰の山伏たちは、そのまま天狗の格好でもあります。
それゆえなんですね。
是界坊がカッコいいのは。
是界ってゆう名前もいいじゃないですか。
界を是とする。
界っていうのは、まぁ、この世のすべてです。良いも悪いも、すべてをひっくるめた体系。それをまとめて、「これでいいのだ。」と肯定してしまうこと。はい、バカボンのパパ出ました。
もう、本当、カッコいい。
是界はロック。だから、カッコいい。
と、いきなり、なんの話をしだしたのか?
シロトリ、気がふれたか?
そう思った方もいらっしゃったかと...。
いや、これから定期的に、能楽について語ってみようかと考えているのですよ。
あんまり親しみのない、この能楽という古典芸能の面白さを、なんとか伝えていければ、と。
実は、サイトも作りたいのですが、それは、ちょっと先になりそうなので、とりあえず、ここで始めようかな、と、試験的にやってみました。
むしろ、興味のない人に読んでもらいたかったりするので、よろしければ、おつきあいください。
(この能は、かれこれ1ヶ月以上前に見たのですが、まぁ、それからダラダラとしてまして、ようやく絵を描き、文が書けました。ふふ、もう、この天狗がアーセンには見えまい!ちなみに、是界坊は、鳥系天狗。つまり、烏天狗の類いです。でも、格が高そうなので、鳥は鳥でも、カラスではなくイヌワシをイメージに使いました。)
これがね、カッコいいんですよ。
話は、中国で僧侶をたぶらかしまくって、イケイケGo!Go!だった天狗の是界坊が来日。愛宕の太郎坊と徒党を組んで、日本の僧侶の本丸、比叡山へ乗り込むも、日本の神様スゴ過ぎて、是界坊、転びまろんで退却。というものです。
かなりの強度で、天台宗、および日本万歳!な内容で、これを普通にメディアにのせたら、あっというまに国際問題に発展しかねない問題作であります。
その辺は、作られた当時の大人の事情とか、電通的ななにかが働いていたことと思われますが、現在も上演されるということは、時代を超えた何かを内包していることは確かで、面白い作なのですよ。
まず、この能、なにがスゴいかというと、シテ(能における主役)が直面(能面OFF)で出てきます。
能面というのは、通常、真人間でないものが、「私は人間ではありません。」という記号として、演者が装着します。ちなみに、ここで言う真人間というのは、成人男子のみです。つまり、女、子供、老人は、人間ではありません。これは、話すと長くなるので、今は説明しませんが、とにかく、成人男子以外の役は能面を着ける、ということになっています。
是界坊は天狗ですから、本来は能面を着けてしかるべきなのですが、ここは直面。
たいてい能面をつけて出てくるシテにとっては、恥ずかしさ1000%の羞恥プレイです。
天狗が普通の人間に化けてやってきた、という設定なので直面なのですが、直面が能面、本当はその下に天狗の形相がある、そんな、ほかの能には見られないカラクリで、もう、のっけから心を鷲掴みです。
そして、いざ比叡山に殴り込み~。
中入り(本性を現すために、いったん引っ込む。)後に出てきた是界坊のカッコいいことったら、直面からのギャップがすごくて、腰抜かしますよ。もう、目が覚めるような展開です。まぁ、負けちゃうんですけどね。
負けちゃうんですけど、是界坊、めっちゃカッコいいんですよ。やられて、飛ぶ力もなくなっちゃって、這ふ這ふの態で逃げ出すんですが、堂々としてます。負けて、血が出るくらい唇噛み締めてるみたいな感じです。ジーン・シモンズです。
昔の人ならいざ知らず、少なくとも、私は「日本の神様はすごいなー!」なんて感想は持たないですね。
日本にいる神や仏に取り囲まれ、僧侶の誘惑に失敗し、逆に散々な目に遭う是界坊。
「もう、こんな国には、二度と来ねぇ!」と、言い捨てて、雲間に消える是界坊。
それは、淡々としたワキ(脇役)の風体との対比で、実に躍動的でイキイキしている。
天狗は一般に悪者です。
しかし、天狗は山の神でもあります。山とセットで恐れ敬われる存在でもあるのです。山という日常ではない場所において、人は理解できないことを、すべて天狗の仕業としました。山にそびえる大きな木は、天狗の住処とされました。山で悪いことをすると天狗にお仕置きをされると考えました。
天狗は自然そのものなのです。その存在は非日常であり、それは、人間が社会で生きていくうえで必要な常識の反対にあるものでもあります。
つまり、天狗はロックな存在なんであります。やっぱり、ジーン・シモンズです。
そんなロックの魂に心を揺さぶられ、従来の僧侶たちに反発する形で生まれた山岳信仰の山伏たちは、そのまま天狗の格好でもあります。
それゆえなんですね。
是界坊がカッコいいのは。
是界ってゆう名前もいいじゃないですか。
界を是とする。
界っていうのは、まぁ、この世のすべてです。良いも悪いも、すべてをひっくるめた体系。それをまとめて、「これでいいのだ。」と肯定してしまうこと。はい、バカボンのパパ出ました。
もう、本当、カッコいい。
是界はロック。だから、カッコいい。
と、いきなり、なんの話をしだしたのか?
シロトリ、気がふれたか?
そう思った方もいらっしゃったかと...。
いや、これから定期的に、能楽について語ってみようかと考えているのですよ。
あんまり親しみのない、この能楽という古典芸能の面白さを、なんとか伝えていければ、と。
実は、サイトも作りたいのですが、それは、ちょっと先になりそうなので、とりあえず、ここで始めようかな、と、試験的にやってみました。
むしろ、興味のない人に読んでもらいたかったりするので、よろしければ、おつきあいください。
(この能は、かれこれ1ヶ月以上前に見たのですが、まぁ、それからダラダラとしてまして、ようやく絵を描き、文が書けました。ふふ、もう、この天狗がアーセンには見えまい!ちなみに、是界坊は、鳥系天狗。つまり、烏天狗の類いです。でも、格が高そうなので、鳥は鳥でも、カラスではなくイヌワシをイメージに使いました。)
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