祇園祭に携わる人が腰にさす
蘇民将来の子孫である護符(しるし)
山鉾の町衆も、神輿の曳き手も、
祇園祭に携わる人なら誰もが、
榊の枝に「 蘇民将来之子孫也 」と記された護符を付けていた。
そもそも蘇民将来とは、
素戔鳴命( スサノオノミコト )が南海を旅した時に、
手厚くもてなした人物のこと。
旅にやつれた素戔鳴命(スサノオノミコト)か゛、
蘇民将来と
巨旦将来という兄弟に一夜の宿を求めたところ、
裕福な巨旦は素気無く断り、
貧しいが心優しい蘇民は、
粟飯を振る舞い歓待した。
その真心に感じ入った素戔鳴命( スサノオノミコト )は、
今後悪疫が流行しても
「 蘇民将来之子孫也 」と記した茅の輪を
腰に下げていれば難から免れると約束された。
そして程なく、
巨旦の家は疫病で絶え、
蘇民の家は末代まで繁栄したという。
この故事こそが祇園祭の原動力となっていた。
その蘇民将来を祀る疫神社は、
八坂神社の西楼門( 祇園石段上 )を入った
突き当たりに鎮座する。
ここで祇園祭のクライマックス夏越祭が行なわれる。
1ヶ月にわたる祇園祭は、
直径2.5メートルもある疫神社の大茅の輪をくぐって幕を閉じる。
今回はここまで・・
続きは次回に・・