気ままに 外歩き 町歩き 街道歩き

気ままに出かけて 写真に残る植物や風景etcを 備忘録として足跡に残しています。

埼玉県児玉郡神川町のマンホール蓋

2019-01-08 11:14:42 | マンホール蓋

現在の神川町は、昭和29年に丹荘村と青柳村が合併し神川村が誕生しました。その後、昭和32年5月3日に渡瀬村を編入、昭和62年10月1日には町制施行により神川町となります。そして、平成18年1月1日に神泉村と合併し、現在の神川町が誕生しました。

神川町は、埼玉県の北西部に位置し都心から85km圏内にあり、東経139度06分、北緯36度12分、標高89.6メートル、面積は47.40平方キロメートルで、南部は山、西部は川、北部は平野が広がっています。
北は上里町、東は本庄市、南は秩父市、皆野町、西は神流川を挟んで群馬県藤岡市に接しています。人口は、平成30年12月1日現在で1.3万人強、世帯数は5.6千強となっています。

この地は、有史以前から人々の暮らしのステージでした。例えば、南塚原遺跡からは1万5000年前から2万年前と推定される石器が出土し、県内でも大規模な群集墳として知られる青柳古墳群には、270基をこえる古墳の所在が確認されています。また、太平記にも登場する武蔵七党のひとつ丹党安保氏の拠点でもあり、幾多の武蔵武士を輩出した場所でもあります。


町章は、二つの「K」を重ねたデザインです。平成18年に合併した旧神川町と神泉村の頭文字「K」を二つ組み合わせているように想像します。(平成18年年12月20日制定)

町の花は「コスモス」、町の木は「ふゆざくら(冬桜)」、町の鳥「ウグイス」です。(以上は、神川町HPより)

私は神川町と言えば、以前に鎌倉街道上道を群馬県高崎市からスタートし、藤岡市から神流川を渡り八高線・丹荘駅で一日目の街道歩きを打ち止めとした記憶があります。
また、登仙橋から下久保ダムまでの約1.3キロメートル続く国の名勝・天然記念物に指定される三波石峡や
城峯公園に咲く冬桜でしょうか。

神川町の概要はここまでにし、マンホール蓋の整理に移ります。
神川町は、公共下水道と特定環境保全公共下水道が設備されています。公共下水道は、利根川右岸流域下水道と接続し、本庄市にある小山川水循環センターで最終処理されます。一方、特定環境保全公共下水道は渡瀬地区に設置され
渡瀬浄化センターで最終処理されています。

最初はデザインマンホール蓋です。
枠付きの汚水蓋です。上部に耐荷重量を表す「25」の数字が見えます。

こちらは、同じデザインですがハンドホール蓋です。上部の数字は「14」となっています。

上記以外に、現在の神川町の公共下水道蓋は見つける事が出来ませんでした。
次は、特定環境保全公共下水道の蓋です。
中央上部に山と川(神流川(かんながわ)か?)のある自然、中央下部に町の花「コスモス」、その周りを 町の木「ふゆざくら(冬桜)」の花が取り囲んでいます。
左上部の数字は、左が「14」、右が「25」と書かれています。
 
こちらは親子蓋です。

こちらはハンドホール蓋です。

以降は、上水道関係の蓋を整理します
始めは消火栓の蓋です。

こちらは、空気弁の蓋です。

いつもは掲載していませんが、こちらは量水器の蓋です。

良く見る、仕切弁や制水弁の蓋は見当たりませんでしたが、旧神川町時代の蓋がありましたので交換のタイミングが来てないのかも知れません。
こちらは制水弁の蓋ですが、中央に美里町の町章が入っています。古い蓋のようなので、旧神川町時代に設置されたものと思われます。

以上で、神川町のマンホール蓋の整理は終了です。
その2.では旧神川町の蓋を整理します。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 秋田県秋田市のマンホール蓋... | トップ | 東京ドーム「ふるさと祭り東... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿