玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

本質と演出

2006年08月20日 | 政治・外交
■ マニアは本質を語りたがる 一般人は演出が気になる
靖国マニアと反靖国マニアは「靖国問題の本質」について時に格調高く時に口角泡を飛ばして声高に主張する。
一般人は高邁な本質論を聞かされても良くわからないし、もっとはっきり言えば興味がない。むしろ、「靖国問題」の舞台に登場するプレイヤーたちの演技や舞台の演出に目を引かれる。
いろいろ言われている亀田選手の試合にしても、もうすこし上手く勝利を(あるいは敗北を)演出していれば大方の視聴者は素直に「よくやった!」と喜んだはずだ。ボクシングの本質を理解して批判できるマニアはそれほど多くない。

■ 「ゲド戦記」もあれば「時かけ」もある
演技や演出の必要を知らないのは論外として、演出のやり方にもいろいろある。
2005年の中国における反日デモは大いに不興を買った。恐怖と威嚇の演出は失敗した。平成の御世の日本人は心優しく一見すると柔弱だが決して腑抜けではない。
それに対して、8月15日の小泉総理靖国参拝はおおむね好評だった。「個人的参拝」「厳粛な表情」「慰霊と不戦の誓い」という演出コンセプトは多くの国民に受け入れられたようだ。

■ シーラカンスも夢を見る
8月15日の靖国神社という桧舞台で起きた奇妙な出来事。
  痛いニュース(ノ∀`):【靖国】青いヘルメットのサヨク集団"全学連"、一般市民にボコられ退散
テレビの画面に一瞬だけ映し出された彼らの姿、ヘルメット・サングラス・タオルのマスクというスタイルは生きた化石そのものだ。参拝反対派に「昭和の過激派」のイメージが強く焼き付けられてしまった。もし私が参拝反対派であれば、あれは右翼のなりすましじゃないかと陰謀論を唱えたくなる。左翼のみならず右翼にもご忠告申し上げる。「過激派」というコンセプトは時代遅れであり、笑われるだけです。

■ 「靖国問題」の鬱陶しさは「プロ野球中継の時間延長」に似ている
野球ファンの方にはごめんなさい。
プロ野球の(ジャイアンツの)人気が低迷するようになり、これまで当たり前のように行われていたテレビの野球中継延長がなくなった。本当に喜ばしい。だいたいマスコミは年がら年中プロ野球に熱中しすぎである。バファローズが解散しようと、ジャイアンツが低迷しようと、タイガースが優勝しようと、プロ野球ファン(マニア)以外にはまったくどうでもいいことだ。毎日のように巨人戦を放送し、いや放送するだけならいいのだが毎日のように時間延長して他の番組に中止や放送時間変更を強いるのは横暴である。中継延長がなくなって本当によかった。
8月15日が過ぎて「靖国問題」の空騒ぎが終わった。この清々しさは、プロ野球の延長を気にせずビデオを予約できる喜びに似ている。

参考リンク
  invisible-runner:参拝に反対する理由って、本当はもっとあるのでしょう?
  invisible-runner:こんなに長くなるなんて。
  uumin3の日記:靖国問題はA級戦犯の分祀では解決できない
  Feel in my bones:靖国神社、若者の保守化、左翼の低潮化、とか。
  できるだけごまかさないで考えてみる:日本のマスゴミや中韓が使う「解釈の強制装置」(前編)
  できるだけごまかさないで考えてみる:日本のマスゴミや中韓が使う「解釈の強制装置」(後編)