チェルノブイリの原発事故が発生した後の1990年に、1冊の本を読んだことがある。
若い研究者が原発事故を想定して書き残し、故人となった後、同僚たちが冊子にまとめたものであった。
今では、その記憶が多少欠落しているが、概ね次のような内容であった。
敦賀・高浜・美浜辺りの原発がM7だったかM8の地震を受けて、放射能流出が始まり、北からの風を受けて目に見えない放射能は関西地方を覆い、さらに南下し九州を覆ったところで、北向きの偏西風に乗って、東海、関東、さらには東北地方へと北上して、日本中が壊滅状態に至らしめるというものであった。
視力に入らない放射線は、人々に気づかれることなく、オフィスや一般家庭の窓ガラスを透かして人々に放射線被災をもたらし、その恐ろしさをまざまざと表現した内容であった。
日本に起きる最大級の地震でも原発事故は起こらないという1970年代当時の原発神話を否定した内容で、その危険性を喚起していたが、まさにここに来て、彼らが予測した危険性は福島第一原発事故のレベル7により、現実のものとかしつつある。
原発の安全神話は、脆くも半世紀も経たないうちに打ち消されようとしている。
また、20数年前に調べたことがあった。日本中の自動販売機の稼働数とそれに使用されている所用電力量は、原発1機分であった。
当時と現在を比較していないが、当時の自動販売機の幅は60Cm程度で、加温などは無く、その設置数もかなり少なかったはずであるが、現在では、大きいものでその幅は2m程度のものがあり、ジュースやコーヒーだけでなく、あるとあらゆる製品が自動販売化され、四六時中加温装置付きが大半となっている。
その設置台数に至っては数倍以上を超しているに違いないが、これらに必要な電気は原発数機に上るものと想像がつく。
時代は、様々な分野で電気を必要とし、日本中のあらゆる産業とその経済力は、その電気無しでは成り立たなくなっている。
しかしながら、その付けが原発を必要としながらも、大震災の脅威により事故を誘発した。
今後も日本中の海岸に林立する原発の事故は皆無とは、誰が思考しても考えられない現実性が視野に入りつつある。
国や自治体では、想像を絶するほどの赤字財政であるにも拘わらず、日本国民は贅沢を好み、あくまでも富を得ようとしている。
近年は近隣国なども日本同様に浴する傾向が見られている。
贅沢三昧の至福を選択するか、貧しくとも孫子の時代やそれからの未来永劫に安全で住みよい環境を残すかの二者択一の時の訪れを、遅きに資した感は否めないが実感せずにはいられない。