栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

葬儀について考える~小規模葬が増えている

2016-10-01 16:41:55 | 視点

 <写真:まるで自宅のリビングに家族、親族が集い、故人を偲ぶような雰囲気の式場>

 人生の一大セレモニーと言えば結婚式と葬儀だろう。
かつてこの二大セレモニーは似通っていた、規模の面でも金額の面でも。
だが、この両セレモニーは共に縮小傾向にある。結婚式は若者人口の減少で数量的に。
 一方、葬儀は件数は増えているが、規模が小さくなっている。以前のように大人数が自宅や葬祭場に参列して行う形から、親しい身内や家族だけでこじんまりと行う形態が増えている。
 呼び方は「家族葬」「リビング葬」「密葬」「1日葬」「直葬」など様々だが、共通しているのは参加人数の少なさと、比較的少ない費用で実施できる点。
ただし、費用的には必ずしも安くできるわけではないので、家族葬=安上がりと考えるのは間違いだろう。

 ところで結婚式と葬儀の決定的な違いは何だろうか。
違いは色々あるが、大きく違うのは前者は準備期間があるが、後者にはない(期間が短い)ということだ。
そのため葬儀はほとんど葬儀社の言いなり、出し値で決まるところがある。
結婚式のように事前に時間をかけて式場を見て回り、見積もりを取り、決めるという余裕がない。
バタバタと半日から1日の間に何もかも決めなければならないからだ。
 私自身、15年前に妻の葬儀を行った時はもうてんてこ舞いだった。
それまでに父の葬儀の経験があるとはいえ、父の時は田舎の実家で行ったから、親戚連中や地域の人達が皆段取りをし、手分けして手伝ってくれたので喪主は何もしなくてよかった。
 ところが妻の場合は葬儀社の手配(亡くなった直後に探した)から、関西方面から参列する親族達の宿泊場所まで手配しなければならず、とにかく大変で、それこそ悲しみに浸る暇もなかった。
 そこで今回は昨今増えている小規模葬について、私自身の経験を交えながら考えてみたい。

直葬も増える傾向に

 母が亡くなったのは今春3月下旬だが、それまではグループホームで暮らしていた。
それが医師から、いつ急変してもおかしくない状態だから入院した方がいい、と告げられたのが2月半ば。
 入院して3日目に担当医師から、投薬効果(腎不全)が出ない、もうすることはない、点滴も本人が苦しいだけだから外そう、後は看取りだけ、と告げられた。
残された時間は数日以内、いまの内に会わせておきたい人がいれば会わせておくようにとまで言われたが、それから丸5週間、母はベッドにこそ寝かせられていたものの、普通に会話ができ、食事も亡くなる3日前までできていた。

 私は妻の時の経験から入院後約1週間と考えていたが、1週間を過ぎても母の容態は変わらない。
食事もしっかりするし、会話も普通にできていた。
この段階では医師の判断ミスを疑ったほどで、転院を検討したぐらいだ。
それでも冷静に考えれば、回復して元の生活に戻れるわけはない。
とすれば、残りの時間を一緒にどう過ごすかしかないと考え、毎日午後2時頃から6時過ぎまで病室で過ごし、最期は私が見守る中、突然呼吸が止まった。

 医師から見放されながらも4週間以上も話が普通にできる時間的余裕があったことがよかった。
助走期間というか、葬儀について考えられたからだ。
合間を縫ってパートナーと2人で葬儀社の見積もりを取り寄せ、何か所かには足も運んで具体的なことを尋ね、そこのスタッフと話もした。
 そうすることで違いも見え


           (中 略)

エレベーターが問題

家族葬が急増の背景

新カテゴリーのリビング式場


           (以下 略)




 ☆全文は「まぐまぐ」内の下記「栗野的視点」ページから
  http://archives.mag2.com/0000138716/20160905174934000.html


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