まろの公園ライフ

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熊谷守一を想う

2012年01月28日 | 日記

ずっと寒い日が続いている。
この季節、小さな美術館をふらりと訪ねてみるのも一興ではないだろうか。
冬場はたいてい空いているし、何より暖房が効いてあったかい。

豊島区立「熊谷守一」美術館。
西武池袋線・椎名町駅から続く住宅街の真ん中。
戦後「熊谷様式」と呼ばれる独特の画風で画檀の高い評価を得た
洋画家・熊谷守一の旧アトリエを改装した小さな美術館だ。



玄関には熊谷の代表作でもある「ありんこの行列」のオブジェ。
これを見ただけでワクワクしてしまう。
絵は人なり・・・という言葉が誰よりも似合う画家だ。

館内には「熊谷ワールド」が横溢している。
心が疲れた時など、熊谷の絵を見ると実にのびやかな気分になる。
「そうだよな、もっと単純に考えれば人生は楽しくなるんだよなあ・・」などと思う。

熊谷守一は「画檀の仙人」と呼ばれた変わり者だった。
明治維新の10年ほど後、岐阜県の片田舎に生まれ、後に東京美術学校を卒業。
画家にはなったが全く絵は売れず、極貧の時代が長く続いたと言う。
いや、売れなかったと言うより「売れる気がなかった」と言うべきか。
いい絵を描いて褒められようとか、有名になろうとかは一切考えなかったらしい。
後年、文化勲章の受章が決まった時も
「自分はお国のために何もしていないから」と断った話は有名だ。
もともと勲章というものが一番嫌いだった。

彼の描く生命力あふれる油彩画は黒田清輝も絶賛した。
蝋燭に浮かぶこのほの暗い「自画像」など、私も稀に見る傑作だと思うのだが・・・

しかし、熊谷は気に入った絵しか描かず、画商の求めに応じて描くこともなかった。
ただひたすら、自分の世界だけを追い求めた「孤高の画家」だった。
そんな熊谷の画風がガラリと変わったのは50歳をはるかに過ぎた頃だ。

それまでの「写実」を捨て、線と面だけで構成するシンプルな「表現主義」へ。
勢い、画風は独特のユーモアを湛えた微笑ましいタッチになる。

どちらかと言えば暗い、濃密な油絵を描き続けて来た画家が
どのようにしてこの「明るさ」と「軽やかさ」を獲得できたのか・・・
どのような心の変転を経てこの「枯淡」の境地に至ったのか・・・

画家は97歳の長寿を生きた人だが、晩年の30年間はほとんど外出せず
わずか15坪の自宅の庭だけをモチーフに絵を描き続けたと言う。
花や木々、鳥、昆虫、小動物などなど
晩年に描かれた作品のほとんどの題材が熊谷邸にあったものだと言う。
彼にとって自宅の庭はまさに「小宇宙」だったのだろう。

熊谷はそんな自分の画風について「下手も絵のうち」と表現している。

   「下手と言えばね、上手は先が見えてしまいますわ。
    行き先もちゃんとわかっていますわね。
    下手はどうなるかわからない、スケールが大きいですわ。
    上手な人よりスケールが大きいです」

私も物書きの端くれだから創作に行き詰ることは多々ある。
自分の才能のなさに打ちのめされ、絶望的になることもしばしばだ。
従って「下手くそ加減」では人後に落ちないのだが
それも「ひょっとしたら上手い人よりもスケールが大きいかも知れない」と考えたら
途端に気が楽になって、ちょっと希望もわいてくる。
そんな気持ちにさせてくれるのが熊谷守一という画家なのである。

皆さんもこの冬、ちょっと心が疲れたら熊谷さんに会いに出かけてみたら・・・


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