くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

オールドネイビー、日本でもあの品質でやるの?

2012年07月11日 | Weblog
オールドネイビーがようやくにして日本上陸、第一号店はお台場だそうだが、正直、今更という気がしなくも無い。

今まで出店計画はなかったのだろうか?

それ以前に興味があるのは、あのアメリカでの品質のまま日本でも商売するのだろうか、という点。

安いには安いが、オールドネイビーの品質はひどい。素材、縫製、どれもこれも。一シーズンで着捨てるというのなら、しかも普段着なら問題はないかもしれない。が、素材だけに着心地も決して他メーカーに比べるとよくないんだけど。

まあ、はじめのうちは珍しもの好きの日本人だけに、飛びつくのかもしれないが、どこまで「人気」が続くものだか。それにどこまで全国的に拡散するものだか、甚だ疑問です。
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トヨタの限界: 新型レクサスESが「レクサス復活の象徴」って、冗談でしょう?

2012年07月10日 | Weblog
新型レクサスES、豊田社長「レクサスカムバックの象徴になるクルマ」

だって・・・。

冗談でしょう? まあ、発表の場で、「ウチの車は相変わらず田舎臭くて・・・」なんて思っててもいえないんでしょうけど、本気で「復活の象徴」なんて思っていたら、豊田社長のセンスってのも、やはり「三河」なんですなあ、相変わらず。

み・か・わ

三河人に斬新なものを期待すること事態、まあ、猫にワンと吠えろというようなものですけど。

別のたとえでいえば、福山雅治に「もっと上手く歌え!」っていうようなもの?

あいも変わらず、退屈な車を作るものです、GSといい、今回のESといい。

GSなんて、コンセプトで期待させていおいて、思いっきり「意外性」でおどろかせてくれました。え、最初から裏切られることはわかっていた? トヨタのいつものことだろう?

でも、あの時も「今度こそは面白いクルマを」って期待したんですよ。でも、やはり「また」でした。

もう、「岸壁の母」はやめます。「もしや、もしや」をトヨタに期待しても無意味だということで。

でも、豊田社長就任時いいませんでした、「格好よいクルマを作る」って。

それが、あれ、これ?

やっぱ、三河DNAなんでしょうか。

豊田、いっそのこと、本社を愛知県外か、海外に移しちゃったら?

で、三河臭さを払拭!

ということは豊田家を完全放逐ってことにもなるんでしょうけど、まあ、それくらい思い切ったことやらないと、あそこのクルマの退屈さ、垢抜けていなさは変わらないのでは?

パッケージング、パッケージング、ここをブレイクスルーしないと日本車に明日はないです。EV時代にでもなったら、なおさらですよ、ホントに。


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大女優山田五十鈴

2012年07月10日 | Weblog
まさに「大女優」だったと思います。

同じ文化勲章でも、森光子とは、格が違いました。

60を過ぎても何とも言えない色気を放つ女優でした。

色気とは無関係なところでは、「蜘蛛巣城」の奥方が忘れられません。自業自得の挙句に精神の正常を失っていくさまは、鬼気迫るものがありました。後年同じ黒沢作品の「乱」でも似たような悪女キャラを某女優が演じましたが、その存在感たるや、比較になりません。文字通り、役者が違う、というやつです。

もうこういう女優は出てこないでしょうね。

合唱
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菰田潔さん、今更そんなことを・・・: 日本車に必要なのはデザイン

2012年07月09日 | Weblog
自動車でメシ食っている人が、今更言う言葉じゃない。

今更です、今更。
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昨今の教育現場なればこそ: 「いじめた側にも人権が」

2012年07月07日 | Weblog
「いじめた側にも人権があり、教育的配慮が必要と考えた。」

それはその通り。正論なんでしょう、見方によっては。ましてや、人間一人死に追いやった”くそガキ”とはいえ、まだ子供でもあります。

あえて、その部分にはかみつきません。「人権なんかない!」などとは決して申しますまい。

しかし、そのあとのくだりが非常に気になります。


「『自殺の練習』を問いただせば、当事者の生徒や保護者に『いじめを疑っているのか』と不信感を抱かれるかもしれない、との判断もあった」


ここが、いかにも今どきの教育現場の発想だなあと思います。

もっとも、本当の意味での教育現場は学校であり、教育委員会というのはその「現場」から見ると「現場知らず」なところがあるんです。でも、両者がまったく別物かといえば、そうではない。第三者、特に保護者なんかからみれば、一味同心なんです。で、実際にも、同じような思考・行動形態を見せるんです。

今回の一件がその好例です。

「いじめた側の人権」への配慮という意識、実際にあったんでしょうが、おそらく教育委員会的にはその部分よりも、「生徒や保護者の不信感」っていう部分が多き下端じゃないでしょうか。今の学校は、本当に、子供に対しても、保護者に対しても、腰がひけていますから。でも、引けば、相手は出ています。一部保護者の学校、教師への態度には実に目に余るものがあります。

でも、これはやはり「保身」なんです。批判されてしかるべきです。「生徒」とかいいながら、その生徒の前に実に情けない姿をさらしてしまいました、教育に携わる者として、大人として。あの人たちも、この親、あるいは孫のおじいちゃんだろうに。とても、彼らの背中を子供に見せられたものではありません。

まあ、一点弁護の余地があるとすれば、学校や教育委員会が「萎縮」してしまうのもわからなくもないんです。要は、マスコミ報道。これの餌食になったら、個人の生活、人生はおろか、家庭までやられてしまいますから。それも、彼らの「攻撃」は映像を駆使して執拗でしょう? そんな「攻撃」にほぼ無防備な人たちが萎縮して我が身を守るのに汲々とするのも、わからなくはないんです。

ええ、こういえば、ご批判もあるでしょう。

率直にいって、頭の良くない人たちだと思います。「人権」なんていえば、世間は反省の弁や自己批判を期待しているのに、錦の御旗を出して自己弁護に躍起になっているとかえって反発を生むのは当然です。予想できなかったんでしょうか。

あるいは、「人権」という語句に対する教育現場と世間の間隔のずれゆえなのかもしれません。とすれば、「やはり教師は世間知らず」なんていわれても仕方がない。実際にそうだし。

いずれにしても、今どきな教育関係者の今どきな発言・対応が、世間の間隔と齟齬をきたしているってことなんでしょうねえ。




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また悪い癖が・・・: 海老蔵の五右衛門

2012年07月05日 | Weblog
またではなく「まだ」というべきか?

出だしの「絶景かな」から、バツ!

あのセリフ回しというか発声、なんとか直らんですか?

このままだと、ダメだよ、本当に。
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民主分裂: 「細野豪志、この男はいずれ小沢を裏切る」

2012年07月03日 | Weblog
小沢が民主の政権奪取の功績を挙げてからは、「腰巾着」だった細野氏。いつの間にか、すっかり小沢から離れていました。

今では、閣僚、しかも「ポスト野田」なんて声も。

でも、この男、パンツが汚れてるし、叩けばホコリが出るでしょう、確実に。

マスコミとしては、何時叩こうか算段中なんでは?

しかし、こういう要領が良いっていうか、小ずるい男は、いずれコケますよ。

でも、運は悪くない。強いものも持っている。

さて、位人臣を極めることはできるでしょうか。
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民主党分裂: 平成21年8月31日、「民主政権は、我々にとって、苦しみにしかならない。」

2012年07月03日 | Weblog
って書いたんだけど、その通りになってしまって、複雑な心境です。

そら見たことか、と思う反面、本当にそうなってしまったことへのやりせなさというか・・・。


同年9月24日、「この内閣の末路に至るシナリオがもう見えてきた。自縄自縛が「自爆」になってオシマイってことなんだろうなあ。」


これも、もう事実上「本当」になってしまった。


本当に予測しやすい政権だった(って、こう過去形かい?)
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民主党分裂は、毒酒を呑んで渇きを癒した結果

2012年07月03日 | Weblog
小沢の賞味期限なんて、自自公政権離脱して小渕政権を事実上「死」に追いやってしまった時点で、切れていたのに・・。

それから何年もたって腐りかけた「剛腕」を食らった結果が、今回の民主分裂なんです。

政権奪取という「目先」にとらわれたばかりに、小沢という「毒」をくらって・・・・。

自業自得ですわ。
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フォアグラ禁止、アメリカらしいというか、カリフォルニアらしいというか・・・

2012年07月03日 | Weblog
加州でフォアグラ禁止がついに現実のものに・・。

いや、別にフォアグラなしには生きていけないというほど好きではありません。歳とともにあの類はtoo much になりつつあるので、別に禁止なら禁止でいいんですけど。

この極端さ、いかにもアメリカらしいというしかないです。いえいえ、アメリカは何事にも極端、極論に走るとは申しません。日本や欧州よりも柔軟です。でも、NYCのメガサイズ規制といい、ときとして実に極端な方法を取る国です。そのドラスティックさが吉と出る場合もあり、だから今後世界経済に何事があってもいち早く回復するのはアメリカだと思うのですが、逆に余計な波風を立ててしまうこともあります。禁酒法なんて・・。

そして、このフォアグラ禁止が加州に始まったというのが、またいかにもカリフォルニア。新し物好きというか、何か新しい動きは西海岸から。それだけ、あそこは特殊だといえます。アメリカすなわち西海岸なんてゆめゆめ思わないでください。

おそらく、最初に反フォアグラを言い出したのは、あの州の高学歴・高収入の連中なのでは?大体、そうなんですよ。だって、一般人、フォアグラなんて食べませんから。
大手のビールなんか飲むのは低学歴のブルーカラーで、高学歴はビールを飲んでも小規模地ビール系なんて考えている人間もいます、あちらには。

でも、この高学歴・高収入の西海岸人、いつも「上から目線」なんですよ。そしてその「上から目線」は国内だけではなく国外に対しても。ある意味、鼻持ちならないイヤーな奴らです。たぶん、そんな奴らが言い出したことだと思いますけど。

でも、視野の狭い発想だと思います。フォアグラすなわち虐待ってのは。いや、確かに、あのフォアグラ育成法、見ていて気持ちの良いものではないです。でも、これを敷衍して考えると、チキンはいいんですか。あの育成法? 牛はOK? キャットフィッシュもOK? もっといえば、食肉産業で働く労働者の労働環境、まあアメリカ史やると必ず出てくるニートパッキング事件(問題?)からもう100年以上たちまあすが、いまでも、劣悪ですよ。

カリフォルニアの進歩的な皆さん、是非フォアグラ同様、声を上げてください。10年後には、肉食禁止条例から? で、皆さん、ベジタリアン? でも、農園でも労働環境も・・・、日系人が働いていたときほどではないにしても・・・。

行き着くところは何も食うもんなくなりますよ。え、食うもんなけりゃマカロンでも食ってろって? でも、その原料は?

所詮、西海岸のアノ手の方々って、思い上がりと思い込みの激しいオメデタイ偽善者なんですよ。でも、社会的影響力あるから、そのうち世論を侵食していってしまう。
まあ、悪貨は良貨を駆逐するとまではあえて言いませんけど、鬱陶しい連中です。

で、日本国内でもそのうち「アメリカでは」なんて言い出す単細胞が現れるんじゃないんですか? 
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あえて陰謀説を妄想してみる: オスプレイ配備と「沖縄」の反発

2012年07月02日 | Weblog
マスコミのいう「沖縄」は実は沖縄ではない場合が多々ある。

ようは、マスコミのいう「沖縄県民の・・」というのは、同地の一部の民意であったり、地元の非常に政治色の強いマスコミがでっち上げた「民意」でしかないことがしばしば、という意味である。

だから、オスプレイ配備への沖縄の反発も即地元の民意とは解しかねる。

かといって、私がオスプレイ配備にもろ手をあげて歓迎しているわけではない。

米軍、ひいては米国の対日意識、人種意識の表れなのではなくとも感じる。

そしてあえて陰謀論についても思いを巡らせている。

米国は、沖縄の日本からの離反をもくろんでいるのではないのかと。かりにそうなっても、米軍の撤退とはならない。沖縄県民のなかにそれを期待する向きがあるとすれば、そいつらは正真正銘の「バカ」としか言いようがない。きっち死んでも治らないであろう。

米軍が妥協し一部撤退に応じるとしても、基地のない沖縄は絵空事になるはずだ。きっと米国は、「承認」とひきかえに駐留継続を呑むよう迫るに違いない。さもなくば、
第三国が入り込んでくるのは必定だ。場合によっては、日本を排除することで事実上の保護国化をはかるかもしれない。

彼らは油断ならない、実にえげつない連中である。だが、安全保障をそのし尿ならない「トモダチ」に依存せざるを得ない我国は実になさけない。


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大飯原発再開と”一般”実はプロ市民、そしてマスコミの偏向報道

2012年07月02日 | Weblog
大飯原発の再開、現時点でのそれには反対である。現時点でいえば、であるが。

まあ、大雑把にいえば、原発周辺に集まった”一般”市民たちとその点において立場を同じくするといえる。

が、彼らはマスコミがいうような”一般”市民ではない。さまざまな政党や思想集団、圧力団体の構成員であったりそれにつながる人々であり、すべてというわけではないが、いわゆる「プロ市民」が含まれていることは間違いない。

いわば、私とは主義主張を大きく異にする連中である。場合によっては決して相容れない連中だ。思想対立は究極的には「やるかやられるか」でしか解決しないと思っている人間だから、場合によっては刃を交える連中である。

そんなやつらと大同小異にさえつけない、つきたくもない。

うかつに共闘すれば、薬害エイズのときと同じようになり、手練れの奴らに取り込まれてしまいかねない。

しかし、マスコミは彼らを”一般”市民だという。

なぜ、やつらに素性を隠すのか。なぜ”一般”と冠して隠ぺいするのか。

マスコミも奴らと一味を組んでいるから、そうでなくともシンパだからではないのか。

政府も、電力会社も、マスコミも信用できない。そんななかで一体どう原発問題を思考したらよいものか・・・。情報化社会といっても、実情はこんなものなのだと改めて
思い知らされる。



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