くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

沖縄は日本が不法占領?

2010年09月20日 | Weblog
以下、抜粋。


19日付の中国紙、環球時報は琉球(沖縄県)は明治政府が19世紀末に清国から奪い取ったもので、日本政府は今も沖縄住民の独立要求を抑え込んでいるとの趣旨の署名入り論文を掲載した。

 中国大陸に近い尖閣諸島(中国名・釣魚島)については中国領であることは明白で「日本には中国と話し合う資格もない」と結論付けている。

 筆者は在日中国大使館勤務経験がある商務省の研究者、唐淳風氏。

 論文ではかつての琉球王国住民の大部分は福建省、浙江省、台湾付近の出身で、言葉も制度も中国大陸と同じだったと断言。


商務省の研究者というが、一体何の研究者なのか。まさか歴史学ではあるまい。もしそうであれば、「風上にも置けない」と言わざるを得ない。もっとも、彼の国では学者、研究者という存在はそもそも「御用」の向きであることを求められる。歴史学も党並びに国家の意思に沿う範囲において学問の自由が認められる。したがって、「中華思想がいまだに中国人の心理ないしは世界観のなかに残存している」などと言ってはいけないのである。逆に、党、政府が認めれば、「南京での犠牲者数30万人に拘泥しないかわりに、日本側は南京事件を史実として認めろ」と要求してくる。だが、歴史学者として本来後者のような「取引」は、恥も外聞もない証拠である。「渇すれど盗泉」の御仁を長く聖人と仰ぎ、その御仁を始祖とするイデオロギーを昨今再び中華文明の誇るべき一部とみなすお国が、このざまである。それを知って、かの聖人、一体何を思うであろうか。

それはさておき、この研究者氏の言い分、嘘八百、これこそ歴史の歪曲、捏造である。

尖閣諸島の一件はさておき、沖縄の件。琉球王国住民の大部分は福建省云々。一部、その方面から来たことは否定しないが、誇張も過ぎれば虚言となる。

言葉も制度も中国大陸と同じ。同じではない。受容はしている。だが、同じというのは、これまた恥知らずにしておそらく意図的な誇張である。琉球方言と「中国大陸」の言語は同じとはこれいかに。漢字を言っているのであれば、琉球での仮名の使用についても言及すべきではないのか。

119世紀末に清から奪い取ったというが、それ以前の薩摩藩の在番の存在を含め同藩の影響力をどう評価するというのか。実はこの部分について一切言及しない書物は、彼の国や台湾には多い。これもおそらく意図的なものであろう。

更に領土主権という点から言えば、「清国から奪い取った」とは、それ以前は清国の一部だったということを意味せねばならぬはずだが、「奪い取られる」以前の琉球に清国の統治の実態はない。宗属関係は存在したが、「天朝」は冊封、朝貢以上の影響力の行使は求めず、朝鮮等もそうだが、藩属国の内政については不関与であったはずだ。すなわち、統治の実態はない。朝貢関係は近代領土主権概念からいえば、「統治の実態」とはみなし得ず、それゆえに欧米列強も当時、琉球を清国の統治対象の一部とはみなしていない。ペリーは、薩摩の影響力の方が実質的かつ大であるとさえ言っている。

かりに言葉や制度が中国と共通していたからといえ、それが中国の領有権を証するものではない、まったく。言語が同じというだけで領有権の証左となるというのであれば、英国の米国に対する領有権は本来独立革命後もその効力を失うものではなかったという議論も可能になるわけだが、これは少なくとも中国の外では詭弁どころか妄言、戯言とみなされるのがおちである。言語、制度云々というのなら、内蒙古は所謂外蒙古、今のモンゴル国に「返還」してはどうか。「隗より始めよ」とはいずれの国の故事であったか。

隣人は選べぬとはいえ、まことに厄介かつ手段を選ばぬに躊躇せぬある意味うらやましいほどに奔放すなわち恥も外聞もない
人々の住まう国である。

戯言、あるいは便所の落書きの類と一蹴するのはたやすいが、えてして、わが国の歴史学者諸氏はこうした問題に対しては寡言である。それが何故なのか、私の知るところではないが・・。
コメント
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