くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

四川大地震と日中関係

2008年05月22日 | Weblog
事実上挫折した生存者救援と入れ替わりに医療支援チームが中国入りしたが、これもまたトラブルに見舞われていると言う。支援方法をめぐる彼我の思惑に違いがあるとのこと。

だが、日本側が「我」の思惑や当初の想定に固執すれば、それが「彼」から見れば支援の押し売りに映る恐れもある。「助けてやる」みたいな高飛車な姿勢と受けとらえる恐れもある。今一番重視すべきが、「彼」が何を欲しているかであり、支援するならするで、それにこたえるかたちのものでなければ、かえって有難迷惑であり、新たな「反日」感情の火種にもなりかねない。四川という場所だけに、そこは注意を払いたい。医療チームの団長が、外務省の役人らしいが、そこらあたりの匙加減を是非やってもらいたいものだ。

ところで、震災発生後の日本の対応により、対日感情が改善傾向にあるとの報道もあるが、ホントかね? 北京政府によって捜査された情報を、我が方のマスコミがそのまま鵜呑みにして流しているだけではなのかと勘繰りたくなるのは、私だけ?

まあ、対日感情の改善が事実だとして、それが我が方の対中感情にも「好」影響を与える可能性は十分に予測しうるが、感情レベルでの日中関係も、一過性のものだと私は見ている。あるいは、中国側の対日感情改善報道が、向こうさんとこちらのマスコミの「共同謀議」だとすれば、その化けの皮は早晩剝されることになるだろう。

予測するに、もし本当に日中関係が世論感情レベルにおいて改善傾向にあると思っている向きは、北京五輪で冷や水を浴びせられるだろう。五輪における現地人たちのナショナリズム、しかも偏狂なそれへの熱狂を目の当たりにし、多くの日本人が再び先月の長野で見た光景に対して抱いたのと同じ類の感情を抱くことになるであろう。

今回の震災は、北京政府にとってはとんだ番狂わせであったに違いない。愛国を鼓舞するであろう聖火リレーの一部中止や縮小は計算外だったはずだ(それにしても聖火リレーをめぐる震災後の北京政府の対応の遅さ、鈍さは、あの国の指導層のKYさというか、世情、民情への疎いを露呈した)。さりながら、彼の国の故事に塞翁が馬という。禍福はあざなえる縄のごとしとも言う。ある一面KYで、胡主席訪日のピンポン外交でも見せた「今時?」みたいなセンスを疑うような演出をしながら、その一方では実にしたたかである。四川大震災を民心団結の具とし、更にそれを愛国機運へと昇華させ、否応なく愛国主義、民族主義的感情を刺激するであろう夏の五輪に結びつけるという算段ではないだろうか。今後の震災をめぐる諸事の扱いをしくじればそうはいくまいが、かりに過誤や失策があっても、国内メディアをうまく操作してそれを隠蔽していくのであろう。

四川から北京へとつながる愛国、挙国の波が、我が方に対して必ずしも反日というかたちで向かずとも、我が方の嫌中意識、対中警戒感を再び増幅させる可能性は大きいとみている。

国家主席の訪日や、自然災害における両国の支援ごときで、容易に塩目が変わるほど、日中関係は一筋縄のものでないということは肝に銘じておきたいものである。

仮に北京五輪がさほど感情的な確執を再び惹起せずとも、いずれまたその機会は訪れる。胡主席来日の際の共同声明をそれなりに評価する識者もいるが、何をのんきに北京や福田政権にシッポを振っているのだと言いたくなる。遠からずそれが「空文」であることを我々は否応なく思い知らされることになるはずだ。

日中関係に過度な期待など持たぬが賢明なのである。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 先代幸四郎の「寺子屋」 | トップ | 世代論の虚しさ、愚かさ、恥... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事