東日本大震災の津波で全校児童108人の7割に当たる74人が死亡
これはまさしく悲劇だ。
74人の子供が死んだということは、数百人の人間が今現在も嘆き悲しんでいることを意味する。そしてその悲しみは当分いや永久に消えることはあるまい。
でも、ああすればよかった、○○ができたはずだ、なぜ○○しなかったのか、みたいな学校や教員に対する責任追及って、一体何の意味があるんだろう。
今回の未曾有の災害を経て、非難や防災の在り方についてシステムとして方法論として見直して以降、今後に生かしていこうっていうのならわかるが、それが学校や教員個人に対する非難に化けてしまうっていうのはどうなんだろうと思う。
子供を亡くした親からしてみれば、学校が教員が何とかしてくれたら今頃はなんて思いもあるんだろうし、やり場のない悲しみや怒りのはけ口を学校や教員に見いだしたってことなんだろう。
まあ、人間として至極当たり前な反応ってことなんだろう。
でも、誰も学校まで飲み込む津波が来るななんて想定していなかったんでしょ?
数年の赴任で他に移動する教員よりも付近のことを知っている地元住民だって学校までは津波は来ないって考えていたんだから。
山に登ってかえって万が一の事態が起こることを考えた。でも山では何も起こらなかった。だからさっさと山に登るべきだった?
それは結果論ってもんでしょう? かりに遺族やマスコミが「そうすべきだった」という山への非難の末に逆の結果が出たら、彼らはやはり言うんでしょ、「なぜ地滑りやがけ崩れ、樹木の倒壊が予想される山に逃げる必要があったのか?」って。
何でもかんでも「想定外」で言い逃れる誰かさんもいる(た)が、まさに末端でしかない教員たちに予言者か霊能者のごとく、あるいは全知全能のごとく行動すべきだったって批判をぶつけるのは、あの状況ではあまりにも酷ではないのか?
マスコミは、よくよく自分たちの持つ影響力に自重すべきだ。彼らの安直な非難がその向けられた矛先だけではなく、その周囲をも傷つけることを。場合によっては複数の人間とその家族・親類の人生をも奪い、大きく変えてしまうことを。
子供を亡くした遺族の方々にもあえて言いたい。もうあなた方のお子さんは返ってきません。どんなに学校や教員に恨みごとをぶつけようが、もう3月11日午後2時46分以前には戻れないのです。
人を呪わば穴二つといいますが、傷ついた人々が更に他の人たちをも傷つける。この連鎖は悲しみと苦しみ、そして怨みの連鎖を拡大されるだけですよ。あなた方が非難する、責任を追及する教員にも家族はいます。あなた方の行為により教員たちが精神的に肉体的に疲れ傷ついているとしたら、あるいは万が一のことが彼らに起こったとしたら、今度はあなた方が怒りと恨みの対象になるのですよ。そしてあなた方の家族、残されたお子さん方が更に傷つく。
悲しい。くやしい。どうしようもなく辛い。子を持つ立場として自分がその立場に置かれたことを想像するだけでも辛いことですが、もう被災者同士叩きあう、傷つけあう、追いつめあうっていうような不毛な非難合戦はやめませんか。
マスコミも、言っても無駄なんだろうけど、木を見て森を見ず的なヒューマニズムみたいなものに自己陶酔して、おのれを買い被らない方がいいのでは?まあ、言っても無駄なんだろうけど。彼らはいつか「再び」痛い目に遭わんとわからんだろうから。
この手の救いのないマイナス思考的な後ろ向きなニュースって、本当に嫌なもんですね。
これはまさしく悲劇だ。
74人の子供が死んだということは、数百人の人間が今現在も嘆き悲しんでいることを意味する。そしてその悲しみは当分いや永久に消えることはあるまい。
でも、ああすればよかった、○○ができたはずだ、なぜ○○しなかったのか、みたいな学校や教員に対する責任追及って、一体何の意味があるんだろう。
今回の未曾有の災害を経て、非難や防災の在り方についてシステムとして方法論として見直して以降、今後に生かしていこうっていうのならわかるが、それが学校や教員個人に対する非難に化けてしまうっていうのはどうなんだろうと思う。
子供を亡くした親からしてみれば、学校が教員が何とかしてくれたら今頃はなんて思いもあるんだろうし、やり場のない悲しみや怒りのはけ口を学校や教員に見いだしたってことなんだろう。
まあ、人間として至極当たり前な反応ってことなんだろう。
でも、誰も学校まで飲み込む津波が来るななんて想定していなかったんでしょ?
数年の赴任で他に移動する教員よりも付近のことを知っている地元住民だって学校までは津波は来ないって考えていたんだから。
山に登ってかえって万が一の事態が起こることを考えた。でも山では何も起こらなかった。だからさっさと山に登るべきだった?
それは結果論ってもんでしょう? かりに遺族やマスコミが「そうすべきだった」という山への非難の末に逆の結果が出たら、彼らはやはり言うんでしょ、「なぜ地滑りやがけ崩れ、樹木の倒壊が予想される山に逃げる必要があったのか?」って。
何でもかんでも「想定外」で言い逃れる誰かさんもいる(た)が、まさに末端でしかない教員たちに予言者か霊能者のごとく、あるいは全知全能のごとく行動すべきだったって批判をぶつけるのは、あの状況ではあまりにも酷ではないのか?
マスコミは、よくよく自分たちの持つ影響力に自重すべきだ。彼らの安直な非難がその向けられた矛先だけではなく、その周囲をも傷つけることを。場合によっては複数の人間とその家族・親類の人生をも奪い、大きく変えてしまうことを。
子供を亡くした遺族の方々にもあえて言いたい。もうあなた方のお子さんは返ってきません。どんなに学校や教員に恨みごとをぶつけようが、もう3月11日午後2時46分以前には戻れないのです。
人を呪わば穴二つといいますが、傷ついた人々が更に他の人たちをも傷つける。この連鎖は悲しみと苦しみ、そして怨みの連鎖を拡大されるだけですよ。あなた方が非難する、責任を追及する教員にも家族はいます。あなた方の行為により教員たちが精神的に肉体的に疲れ傷ついているとしたら、あるいは万が一のことが彼らに起こったとしたら、今度はあなた方が怒りと恨みの対象になるのですよ。そしてあなた方の家族、残されたお子さん方が更に傷つく。
悲しい。くやしい。どうしようもなく辛い。子を持つ立場として自分がその立場に置かれたことを想像するだけでも辛いことですが、もう被災者同士叩きあう、傷つけあう、追いつめあうっていうような不毛な非難合戦はやめませんか。
マスコミも、言っても無駄なんだろうけど、木を見て森を見ず的なヒューマニズムみたいなものに自己陶酔して、おのれを買い被らない方がいいのでは?まあ、言っても無駄なんだろうけど。彼らはいつか「再び」痛い目に遭わんとわからんだろうから。
この手の救いのないマイナス思考的な後ろ向きなニュースって、本当に嫌なもんですね。
絶対の安全なんて、ありませんから。
これで解決。