くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

松江市『はだしのゲン』問題: 乙武洋匡のブラックジョーク?

2013年08月20日 | Weblog
乙武洋匡いわく、

『はだしのゲン』騒動「俺も『容姿が過激で子どもに不適切』ってモザイクかけられちゃうかな。


要は松江市教委の対応を批判したいんだろうけど、どうして自身のことを持ち出して比較するかなあ?

そもそも、その比較がおかしいでしょ? まったくナンセンスな比較。子供じゃあるまいに。

それとも、”障害者”にははっきりものが言いづらいっていう世間の風潮を逆手にとって、松江市教委を批判するために自身をネタにしたとか?

まさかそんな下種なことはしないだろうなあ・・。それに自虐にしても、あまりにもセンスがないというか品性に欠けるというか・・。

それにしても、乙武氏、レストラン入店云々のときもそう、さかのぼって秋篠宮家の親王殿下御降誕もそう、時々首をかしげるような発想というか言動をされる方のようですね。
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上の息子が「医者になりたい」と言い出した。

2013年08月20日 | Weblog
正確には前からそうは言っていた。塾友に医者の子供が多いからかもしれない。

私も医者の家の子が友人に多かったが、だからといって医者になりたいと思ったことは一度もなし。血が苦手だし、他人の患部とか触れません。ありていにいえば、生理的に、はなからオプションになかった職業。

ただ、息子は息子。まあ、それはそれで構わない。世間様に対して恥ずべき職業ではない。職業に貴賤があると思っている私としては、人様の体をいじって、場合によっては解体業者よろしく切り刻む職業を。おそらく医者自身が思っているほど高尚なものだとは思ってはいないが、芸人になりたい、ホストにいなりたいといわれるよりははるかにましである。

が、医者になるには医学部に行かねばならない。

アホでも入れるのが、我が国の医学部である。大学を選びさえしなければの話だが。しかしながら、そうしたバカでも医学部はおおむね私立で学費がバカ高い。我が家には下もいるので、上だけにしかも大学6年だけで何千万もかける余裕はない。せいぜい慶応の医学部までが経済的に限界だが、なんせ信濃町は周辺環境がソウカだらけで良くないというのは関係ないが、いうまでもなくチョー難関である。わが子に伸びしろがあり、今後今以上に成績が上がったとしても、???である。

旧帝医学部? これまた同様。

その他医学部。地方の、しかもたとえば予備校業界で一時期STARSなんて呼ばれていた(今でも?)最底辺国立大医学部なんてのは、かりに医者になれるとしても行ってほしくはないなあ、そんなレベル。はっきり言ってやはり、医者のレベルも低いからねえ・・。我が家には某STARS出の医者による誤診経験もあるし・・。そのくせ、プライドだけは・。なんせ田舎じゃあ、エリートだから。

というわけで、息子にいいました。

1.医者になりたいのは自由だが、人の命を扱う職業なのだから、しっかりした理由を持ちなさい。いい加減な理由で医者になっては、かえって世間様に申し訳が立たない  ことになるかもしれない。

2.収入がいいからという理由であれば、医学部には行かせない。行きたければ自分で学費稼いで行け。金が欲しけりゃ、売れっ子芸人にでもなればいいが、その場合は
  勘当。親でも子でもない。

3.医学部行くからには、しかるべき医学部に行け。私立は慶応程度の学費が上限。例外もいくつかあるがくだらん地方国公立の医学部は、場合によっては学費出さない、
  行かせない。ロクでもない医者は合法的な人殺しに等しから、キチガイに刃物。やぶ医者に聴診器。大して頭良くないのであれば、医学部なんか行かない方が世間のた
  めになる。

4.というわけで、あと数年間頑張ってください。

5.加えて、医者になるからには、あるいは医者になったら、漢方にも明るくなりないさい。明治以来の我が国の医学政策には明らかな誤りがあり(そして、それがいまだ
  に正されていない)、西洋医学には否定できない限界がある。病気によっては臨床上において漢方の伝統処方にかなわない場合もある。西洋医学至上主義者になるな。
  *蛇足ながら、漢方との関係において、西洋医学の人ながら武見太郎先生は立派だったと思います。泉下の矢数、大塚先生はいかがお考えでしょうか。 


さて、息子君よ、数年後のキミは、どのような道を歩み出しているのだろうか。父は期待と不安を抱きつつ、今やキミを見守ること(プラス学費を出して飯を食わせるくらい)しかできません。


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松江市『はだしのゲン』問題: 東洋経済オンラインの戯言

2013年08月20日 | Weblog
 皆様ご存じのとおり、「はだしのゲン」は実際に原子爆弾を被爆した作者によって書かれたもので戦争の真実を映し出しており、当時を知るための資料としても価値が高い。実際に戦争や原爆の悲惨さを伝える一級資料として、日本のみならず世界20か国で翻訳されて読まれ映画化もされてきた。

だそうである。

噴飯ものとはこのことである。確かに、作者は原爆の被害者である。ここにウソはあるまい。

が、作者によって書かれたものは、真実そのものではない。真実をもとにした創作である。東洋経済はその点を認識していないというのか。まさか・・。それではまるで、
歴史小説と歴史研究書・学術書の区別がつかないに等しい。みのもんたを見てうなずき喜ぶおばちゃん連中ならいざしらず、”天下”の東洋経済に限って・・。

ところが、その東洋経済、「はだしのゲン」を「当時を知るための資料」だとまでいう。フィクションからいったいどこまで史実を得られるというのか? これではまるで、大河ドラマをみて、新島八重というのはこういう人物だったのだと鵜呑みするに等しいではないか。

「一級資料」とまでもちあげられると、バカも休み休み言えということになり、記事の裏になにか思惑があるのではと勘繰りたくなってしまう。

こうなると、研究者がアイリスチャンの「レイプ・オフ・ナンキン」を資料にして、南京事件に関する実証論文を書くに等しく、救いのなさを感じてしまわざるを得ない。


「はだしのゲン」には、明らかなイデオロギー性がある。それも下品でむき出しの憎悪の感情をまとった。それを砂のようになんでもすいあげる子供たちに読ませるわけにはいかない。だから、私は我が家における禁書扱いにしている。読ませるのであれば、同作のもつ”毒”を中和させる何かが必要になる。マンガにはマンガ?となれば小林よしりんか? あれもあれで資料の使い方に大いに問題があり、たとえばジョン・ダワーなんか使われた側としてどう思っているのか興味のあるところだが、毒には毒ということで、「ゲン」を読ませるなら同時に「戦争論」、「天皇論」とか? でも、よしりんのは、字が多いから小学生には無理だろう。

いずれにしても、東洋経済の持ち上げようは、いささか常軌をいっしているといわざるをえない。東洋経済自体への信頼性にもかかわるような・・。もっとも、バブル期の東洋経済を知る身としては、同誌に限らず経済雑誌なんか、くらいにしか思っていないのだが。
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