先生いわく、
和解は、実証にもとづいたもの、歴史にもとづいたものであって初めて、相互理解を促し、反感を生み出してきた過去についての誤解を克服できるのです。そして、歴史研究者は、証拠を探求し、戦争について叙述するさいにとりわけ世上に流布している歴史記述の歪曲を分析することができます。もちろん、歴史研究者自身が批判の対象になることもあるでしょうが、それはむしろ和解への道における「歴史研究者の使命」の一環なのです。
今日、実証的な歴史研究が和解プロセスの核心を占めるようになりました。歴史学者は、その方法論ゆえに、和解プロセスにおいて不可欠な役割を果たします。感情の摩擦や偏見を産み出し、ステレオタイプを再生産してきた「過去」についての誤解を克服するために、つねに根拠や論拠を探求し、戦争や植民地支配について世上に流布している歴史記述の歪曲を分析することは、歴史学者や歴史教育者、メディアに関わる人びとでなければできないことです。
草の根には草の根にしかできない交流があり、青少年には青少年にしかできない交流事業もあります。女性が平和構築に関わることは大変意義あることであり、今日においては必須です。そして、いま、「村山構想」の開始当時にはじゅうぶんに普及していなかったインターネットやSNSというツールもあります。
これが日英両国はさておき、日韓、日中でできますか? そういう相手ですか?
要は先生がおっしゃることは、残念ながら東アジアにおいては、それを実現する”下地”が存在しないのです。ですので、無理です、無理。
和解は、実証にもとづいたもの、歴史にもとづいたものであって初めて、相互理解を促し、反感を生み出してきた過去についての誤解を克服できるのです。そして、歴史研究者は、証拠を探求し、戦争について叙述するさいにとりわけ世上に流布している歴史記述の歪曲を分析することができます。もちろん、歴史研究者自身が批判の対象になることもあるでしょうが、それはむしろ和解への道における「歴史研究者の使命」の一環なのです。
今日、実証的な歴史研究が和解プロセスの核心を占めるようになりました。歴史学者は、その方法論ゆえに、和解プロセスにおいて不可欠な役割を果たします。感情の摩擦や偏見を産み出し、ステレオタイプを再生産してきた「過去」についての誤解を克服するために、つねに根拠や論拠を探求し、戦争や植民地支配について世上に流布している歴史記述の歪曲を分析することは、歴史学者や歴史教育者、メディアに関わる人びとでなければできないことです。
草の根には草の根にしかできない交流があり、青少年には青少年にしかできない交流事業もあります。女性が平和構築に関わることは大変意義あることであり、今日においては必須です。そして、いま、「村山構想」の開始当時にはじゅうぶんに普及していなかったインターネットやSNSというツールもあります。
これが日英両国はさておき、日韓、日中でできますか? そういう相手ですか?
要は先生がおっしゃることは、残念ながら東アジアにおいては、それを実現する”下地”が存在しないのです。ですので、無理です、無理。