くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

国賊=外間守吉

2013年04月05日 | Weblog
って、本人、日本人としての意識がなかったりして。
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中国のねつ造、韓国に負けず劣らず 2: 反日ドラマ

2013年04月05日 | Weblog
韓国ドラマで描かれる日本も昔からひどいものですが、中国も相変わらず反日ドラマのオンパレードです。

相変わらず。

おかしな軍服の、おかしな日本語のありえない日本軍が、八路軍や新四軍、国府軍に打ち負かされ、満州国軍の内通者の裏切りを受けて、コテンパにやられるという、お決まりのパターンが相変わらず毎日、毎日、各チャンネルで展開されています。

なかには、女性日本軍将校やニセ日本軍将兵も登場する、荒唐無稽の極致みたいな内容のドラマもあります。

要は嘘ばかり。滅茶苦茶。

見方を変えれば、彼らの願望を描いているのかもしれません。抗日戦勝利の主役が国府でも中共でもなかったことは、共産党自身が一番よくわかっていることだと思います。しかし、自らの権力の正当性を主張し続けるためには、抗日戦勝利への最大の功労者が自分たちであったと主張し、民衆にそう信じ込ませる必要があります。そこで、あのような「そうであった欲しかった」みたいな展開になるのではないでしょうか。

韓国の独立運動を描いたドラマと同じですね。

いわば、妄想ドラマなんですが、それを見て反日意識を植え付けられる若者たち、子供たちがいるかと思うと、日中関係の将来はやはり暗いと言わざるを得ませんし、そもそも、共産党に日中友好なんて意識はないのではないか、あってもそれは自分たちを利するための手段にすぎず、必要なくなれば簡単に捨てる、ということではないのでしょうか。



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中国のねつ造、韓国に負けず劣らず: 武漢の桜

2013年04月05日 | Weblog
武漢大学の桜がきれいだということはありますが、何と、武漢には同大学ではない別の場所に桜の世界三大名所があるという。

それが、東湖磨山桜花園。

弘前城、ポトマックリバーと並ぶ「三大名所」だというのですが、これが以下にも近年になって植えたのが明らかな若く細い桜の木がショボショボっとある程度のお粗末さ。

それが「世界三大名所」。

どこかの国は、何でもかんでも自国を起源にしたがりますが、同国も最近は桜を観光の売りにしようとしています。

そして、そんなかつての属国を意識してか、”大国”中国も桜の名所をねつ造し出しました。

天はなぜ我が国にかくも浅ましくおぞましい隣人たち(ロスケも含めて)を与え賜うたのでしょうか?


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変わる中国、変わらない中国

2013年04月05日 | Weblog
良い意味で中国は確かに変化しつつある。

中国人は並ばないという。確かに並ばない。そえでも、一昔前に比べれば随分良くなった。チケットブースで横からも前からも汚いお札をつかんだ手が出てくるなんてことは、ほぼなくなった。地下鉄の乗り降りも、確かに相変わらずなところはあるが、それでも昔ほどのことはない。バスもしかり。昔に比べてバスが殺人的に混まなくなったということもあると思うが、あの戦争のような乗り降りの光景は今はない。

地下鉄などでは時々、席を譲るということさえある。正確に言えば昔よりもそういうシーンに出くわす機会が増えてきた。台湾人ほどではないが。特に、子供に席を譲ることが増えたように思う。この点、日本人は実に恥ずかしい。

店の店員の態度が云々というが、これも昔に比べれば雲泥の差である。愛想の良い店員の数は確実に増えている。

人の表情も、昔ほど厳しくなくなった、総じていえばだが。生活にゆとりができたからか?


人目もはばからずいちゃつく若者も増えた。満員の地下鉄でキスをするカップルには、おどろいたが、日中から道のど真ん中や空港などの公共施設で抱き合う男女を目にすることは意外と少なくはない。個人的にはどうなのかと思うし、味方を変えればあくまでも自分本位な中国人らしいといえば、それまでかもしれないが・・。

でも、中国は確かに変わった、そして変わりつつある。





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見たくれ大国中国

2013年04月05日 | Weblog
面子を重んじる中国人は「見たくれ」にこだわる。

それをよく表しているのが、経済成長とともに姿を現した高層建築の数々。

見た目は立派な近代建築の数々。没個性な箱型になりがちな我が国の高層建築に比べ、見た目には個性的である、良くも悪くも。
洗練された個性なら良いが、必ずしもそうではないのが中国で、どこか不格好な建築物も数知れず。

そしてそれら経済成長の象徴の内部なのだが、これが見た目に反してお粗末なものが多い。

高層マンションの建てつけの悪さはよく耳にする。

が、オフィスビルなどもまたしかりで、見た目の派手さ、押し出しの強さに比べ、内装が貧弱だったりする。天井が低かったり、うすぐらかったり、築10年にも満たぬのに、エレベータは振動しながら上下し、エスカレーターは小刻みに波打つ。使い方が荒いのか、作りに問題があるのか、築年数の短いわりに痛み、老朽化が速い。

これは高速道路にも言える。今世紀に入って開通した道路のコンクリがはがれ、さびた鉄骨があちこちに見え隠れする。

北京朝陽区の高層ビル街の並び様は、「世界第二位の経済大国」の面目にふさわしく見えるが、それをとりまく歩道は昔ながらのガタガタが多い。歩道が途中で途切れているといのも、相変わらずの光景だ。バリアフリーなどという発想はあるにはあるのだろうが、優先順位が低いことは、地下鉄駅を見ればよくわかる。空港から三元橋や東直門まで鉄道で行き、そこからバスやタクシーに乗り換えようとすれば、スーツケースをひいての移動はかなりの重労働になる。障害者にとっては尚更だ。急速に高齢化が進む中、一体中国の中央、地方政府は、この問題をどう扱おうとしているのだろうか。

表ヅラ、人の目につくところには気を配り、自らの面目を保つ。

が、メディアや数日しか滞在しない観光客には気付かれないようなところは、二の次、そっちのけ、手抜き、節約。

ここに、勃興する大国中国の真の姿が象徴されているのかもしれない。






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