先週2年の北京駐在から戻った友人いわく、「経済発展に伴い中国の中華料理が劣化している」と。
言われてみれば、先日北京に行ったさいのこと。
久々の北京。昔馴染みの店に足を運んだが、昔のような感動をおぼえなかったのだ。
例えば、前門にある焼売の都一処。店は前門に戻り、きれいになった。焼売の見た目も昔のようなワンタンだかなんだかわけのわからない不細工な見た目ではなくなった。
が、昔の皮と具のバランスが失われていた。皮が粉っぽいと具の油っぽさが口中で一体となって上手かったのだが、それがなかった。
具も昔にくらべネギの食感が目立ちすぎて、肉本来の味を楽しむというわけにはいかなかった。
チェーン店化した老点の質の低下も目立つ。例えば、肉まんの名店(だった)慶豊包子舗。かつて西単にあった店は消えたが、今や北京ばかりか各地に支店を持つ。が、昔とはまったく別物になっていた。
TVは経済発展の象徴のような目新しいビルや街角しか映し出さないが、前門しかり、一歩裏に入れば、昔ながらの雑然、不衛生な町がそこにある。20数年前初めて北京を訪れた時とさほど変わらぬ街の光景に、正直、「経済発展とは一体どこの話なのだ?」と思わされてしまう。
他の店でも、あれこれ食べてみたが、北京料理(宮廷料理ではない)の持つ朴訥さというか素朴さ、武骨さが失われてしまったように感じた。あえてそれを求めるなら繁華街ではない市井の薄汚い店に行くしかないと思う。
経済発展で生活水準も上がり人々の口も超えたと思いきや、必ずしもそうではないらしい。
そこに、中国の”発展”の実態が潜んでいるように思えてならないのだが・・。
言われてみれば、先日北京に行ったさいのこと。
久々の北京。昔馴染みの店に足を運んだが、昔のような感動をおぼえなかったのだ。
例えば、前門にある焼売の都一処。店は前門に戻り、きれいになった。焼売の見た目も昔のようなワンタンだかなんだかわけのわからない不細工な見た目ではなくなった。
が、昔の皮と具のバランスが失われていた。皮が粉っぽいと具の油っぽさが口中で一体となって上手かったのだが、それがなかった。
具も昔にくらべネギの食感が目立ちすぎて、肉本来の味を楽しむというわけにはいかなかった。
チェーン店化した老点の質の低下も目立つ。例えば、肉まんの名店(だった)慶豊包子舗。かつて西単にあった店は消えたが、今や北京ばかりか各地に支店を持つ。が、昔とはまったく別物になっていた。
TVは経済発展の象徴のような目新しいビルや街角しか映し出さないが、前門しかり、一歩裏に入れば、昔ながらの雑然、不衛生な町がそこにある。20数年前初めて北京を訪れた時とさほど変わらぬ街の光景に、正直、「経済発展とは一体どこの話なのだ?」と思わされてしまう。
他の店でも、あれこれ食べてみたが、北京料理(宮廷料理ではない)の持つ朴訥さというか素朴さ、武骨さが失われてしまったように感じた。あえてそれを求めるなら繁華街ではない市井の薄汚い店に行くしかないと思う。
経済発展で生活水準も上がり人々の口も超えたと思いきや、必ずしもそうではないらしい。
そこに、中国の”発展”の実態が潜んでいるように思えてならないのだが・・。