くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

たたき上げ考

2007年06月26日 | Weblog
渦中の人、ミートホープの田中社長。中卒から一代で起業し成功を収めた人をたたき上げというのだろうが、たたき上げというのは、どうもやることに品がない・・。

たたき上げがいけないというのではない。逆に、たたき上げを生まないような硬直した社会にしてしまってはいけないと考える。

ただ、そのことと品の有無は別の話だ。そういえば、我が国現代史における「たたき上げ」の最たる人物、田中角栄も品がなかった。酒の飲み方も品がなく、オールドパーをがぶ飲みして、ついには病に倒れた。あのしゃべり方も品がなかった。更に時代をさかのぼれば、太閤秀吉というたたき上げもいたが、これも「黄金太閤」などと呼ばれるくらいにギルギットで品がなかった。

たたき上げだからけの某合衆国なぞ、いまだに金メッキのエンブレムをつけた車が多数走っている。金メッキ=その筋の人間の車などと思っては、これはグローバルスタンダード(笑)なものの見方ではない。かの国では一般人が金メッキなのだ。
我々日本人の感覚からすれば、品が無いの一言に尽きる。エンブレムに金メッキを施したトヨタカローラを想像してみていただきたい。悪趣味以外の何ものでもないのだが、かの国ではまかり通ってしまう。

人民ならぬ貧民の群れの中から昨今雨後のたけのこのごとく成金どもが発生している近隣の大国の方々も金色はお好きなようだ。そして、あそこもやることなすこと品がない。料理の味はいいが、見た目にこだわらないしね。その点については香港などでは自覚があるようだが。

話が逸れた。

たたき上げという生き物。戦後のどさくさが可能な時代や高度成長期には、田中社長のような何でもありのたたき上げはいくらでもいたのだろう。ただ、田中社長の場合、時代が彼に味方しなかった。というよりも、時代の流れを読み間違えていなかったというか、見ていなかったのだな、あの人は。

エリートコースをエスカレーターに乗って登っていく人たちは確かにスマートかもしれない。ただ、その分、温室育ちで不規則性に弱い。

その点雑草のごときたたき上げはタフだ。が、品がない。人間ある程度の年齢になると人相に歩んできた人生がにじみ出るものだが、田中社長に品性や知性を見て取ることは不可能だ。もう一人の位人臣を極めて田中氏の方、あの眼は頭脳は「コンピューター」を思わせるが、やはり品性の無さがにじみ出ていた。

なーんで、たたき上げってああなんだろうねえ。がむしゃらが結局むちゃくちゃになって、最後はこけてしまう。たたき上げのすべてがというつもりはないが、そういうの多いのでは?

もっとも、学歴的な裏づけの無いものがそうでもしなけりゃのし上がれない社会なのかもしれない、今の日本は。もしそうだとすれば、それはそれで、根本的なスタートラインの機会の平等っていう点で、見直すべきところがあるのかもしれない。

たたき上げ=成功者かもしれない、ある意味で。立志伝中のなどという言葉も付いてくる。だが、あの両田中氏のような人間がそれこそ雨後のたけのこのようにまたぞろ現れては、美しくないよ、日本(笑)。
コメント
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