くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

だめだこりゃ、自民党も・・・。

2007年06月01日 | Weblog
産経新聞の特集記事によれば、松岡自殺まで、党内に参院選への楽観的見通しがあったとか。例えば、片山フグ之介、もとい!、虎之助先生。

それに対して、ドン青木は、楽観論を排する立場だそうだけれど。

まあ、常識的に考えて、与党にとって勝てる選挙であろうはずがない。そんなことは松岡が首くくる前から、いや、安倍ちゃんが総理になる前から大方予測できたことでは?

もっとも、フグ、いや虎先生の場合、今回の選挙はご自分の番、しかも苦戦の予測もあるわけで、楽観的観測ってのに逃避したいお気持ちもあるのかもしれない。さもなくば、この御仁も、政治家としての耐用年数はもう切れたと言わざるをえない。

もっとも、民主党も大して世論の支持を集めるようなことはしてきたわけではない。むしろ、小沢代表への期待倒れの感の方が強いのでは? もうあの人は、時代に取り残された政治家だから。今のご時世では通用しない政治家。小泉政治はワンキャッチフレーズとか批判されてきた。確かに説明不足が目立つ政治家ではあった。説明能力と言語能力の問題だったのか、わざとだったのかはいざ知らず。でも、国民へのアピール力はあった。小沢には国民に語りかけるという能力と言うか、能力以前にその努力が決定的に不足している。そのことを自身が理解していないのか、それとも「わかっちゃいるけど、変えられない」なのか。いずれにせよ、これからそういうスタイルではだめだ。我が国の民主政治の進化のためにも、小沢スタイルは益にはならない。今代表やってられるのも、民主党の人材不足と、過去の「小沢神話」残滓のおかげでしかない。まあ、所詮神話は神話。早晩その残滓も消えうせる。

まあ、小沢民主党はさておき、虎先生のような楽観論が本当に自民党の中にあったとすれば、驚きというか、こりゃ戦時中の日本政府・軍部の首脳部か大本営並みですな・・・。希望的観測なんてのに身を委ねて、それが現実とかい離していれば、戦争に勝てるわけもなければ、選挙戦にも勝てないのは言わずもがな。自民党も終わってるのかもねえ・・。

かつて、かつてと言ってもかれこれ3年くらい前から私は、自民・民主の大連立を経て政界再編成を再度行うべしとの考えを持っていた。より具体的に言えば、両党が改憲を前提に大連立をすれば、おのずと民主党内の護憲勢力は民主党ないしは大連立から落伍し、同時に自民と連立を組んできた公明と自民との距離も生じ、改憲の大舟に乗れない場合は、連立解消・大連立への不参加か、参加後にやはり落伍という可能性が出てこよう。いわば、加憲などという言葉遊びで茶を濁そうとしている公明は改憲の踏み絵をさせられる立場になるわけだ。大連立について言えば、その結果、大連立実現までの課程とその後の大連立政権内での改憲論議の過程で、政権の純化が行われるのである。但し、大連立は時限付きでなければならず、最初から改憲実現の期限を公約し、改憲達成のあかつきには大連立を保守二党に解消して、総選挙に臨み、政党政治に常道に立ち戻るべきであると。

基本的な構想はいまだ変わらず。参院選後の政界再編→保守大連立を期待したい。
より正確に言えば、参院選で与党過半数割れ、但し自民は大敗せず。大敗はないと私が予測している。安倍退陣もなし。安倍政権の改憲志向にも変化なし。むしろ、より改憲への志向を鮮明にしていくであろう。これに対し、参院選の結果をもって与党に対し攻勢を強めるべき民主党も、改憲論議の呪縛からは解放されえず、改憲問題は民主党をかえって討論不一致の混迷に追い込む。同時に自民党内でも、参院選敗北で求心力低下を免れない安倍総理に対し、非主流派は攻勢をかけてくるだろう。改憲がより明確な形で俎上に乗れば、公明党との関係にもきしみが生じよう。
ここで、自民・民主の改憲勢力は、改憲を今後の最大の争点と位置づけることで、互いに分党、政界再編を覚悟で、大連立を模索する。つまり大連立により、民主・自民共に分裂含みとなることは不可避だ。大連立が時限付きであるべきことやそのほかは上記と同じく。

でも、この動きを安部、小沢の指導力でできるだろうか・・。まあ、できるとしたらあの御仁しかあるまいなあとと・・。再登板のご意思がありやなきや? あの方の示した皇室典範改正の方向性は、私にしてみれば、有史以来、蘇我氏、足利義満以来の大逆賊的所業だが、改憲の具にはなるかと・・。ん、位人臣を極めた方に「具」は無礼?そうかもしれないな。



 
コメント
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