くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

慰安婦問題-朝日新聞の品格が問われる

2007年03月10日 | Weblog
細かな事実にこだわって弁明ばかりするよりも、民族や女性の人権の問題ととらえ、自らの歴史に向き合う。そこれこそが品格ある国家の姿ではないか。

「慰安婦問題-朝日新聞の品格が問われる」と題する朝日新聞の3月10日付社説はかく言う。

私はむしろ、この社説をめぐって、朝日新聞の品格といものを問うてみたい。

「細かな事実」にこだわらずというが、この社説の筆者が満員の通勤電車の中で女性のケツを触っ(てしまっ)たとしよう。触られた方は「痴漢行為だ!]と言う。触った筆者氏は「寿司詰め状態で手が触れただけ」として痴漢行為を否定する。これもまた、「細かな事実」にこだわった弁明になるとお思いで、筆者氏?あなたは、車内での出来事に不快を感じ、女性としての名誉と尊厳を傷つけられたと感じた女性の人権の問題ととらえ、「細かな事実」の真偽をさておき、「痴漢行為ではない」というあなたの主張を取り下げることができますか?

それが筆者氏の、朝日新聞のいう「品格」 なのであろうか。白も黒というがごとく、「民族や女性の人権問題」の前にひれ伏し、相手の言いなりになり、事実かどうかもいまだ判然とせぬことを事実・真実として認めることが品格なのか。「いま大切なのは、問題は何が幹で何が枝葉なのか」を見極めることだと主張しているが、民族や女性の人権問題」という「幹」の前には、真実の追究などという「枝葉」に拘るなと・・・?

事実確認はさておき「仰せの通り、私は痴漢です」と、女性の人権問題という「大義」の前に、跪くを「品格」という、この感覚、わたしには到底理解できない。自身の自尊と品格に拘るのであれば、濡れ衣は、その大小にかかわらず、晴らさねばならない。汚名は注がねばんらぬ!という強固な意志とそれに裏打ちされた断固たる姿勢にこそ、品格が存すると思うのだが・・。

それ以上に、事実確認などそれが小事であればどうでもいい、と言い放つ朝日新聞の姿勢に、私は恐怖すら覚える。社会の「公器」であるはずの大新聞が「大事」の前に事実解明という「小事」放棄することを良しとするこの姿勢、言い換えれば、朝日新聞は、時と場合によっては、ことの信憑性というものを重視せず、そのスタンスで読者に情報伝達することもありえるということを宣言しているに等しいのではないだろうか。「我々は、それが『枝葉』の問題である場合には、必ずしも事実を報道するとは限りません」と。

そもそも、誰が何を「幹」で、何が「枝葉」と判断するというのだ。「幹」と「枝葉」を二分する絶対的な基準などというものは、そもそも存在しないはずだ。かりに朝日が「我々がそう判断した」というのであれば、それはもう客観性もクソもない世論誘導行為に他ならぬ、巨大メディアの横暴といわずして何と言うべきか。それこそ、メディアとしての朝日新聞の品格が問われる問題だ。

それにしても朝日さん、そのような姿勢で商売していると、そのうち、真偽の追求を放棄して世論誘導を行う朝日新聞の報道の自由を制限することも、同紙の世論操作によって読者の知る権利が著しく制限・侵害されてきたことを人権問題としてとらえた場合、已む無し!なんてことになりはしないかなあ・・・。明日は我が身かもしれませんぞ。

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所謂「従軍慰安婦」問題、はたして証言=事実

2007年03月10日 | Weblog
なのか?

この問題をめぐって、日米双方のメディア並びに政界(特に我が国の政界)で喧しいことになってきたが、所謂「従軍慰安婦」の強制連行、しかも我が国が国家としてそれに関与したとする立場は、必ずといってよいほど”自称”元慰安婦たちの「証言」なるものを持ち出す。

いや、それしか持ち出してこないのだ。「それしか」ということは、実は、それ以外に「従軍慰安婦」なる女性に対する強制連行を立証するものが無いから、とも言える。

証言が即事実まはた真実を語っている、などと思っているとしたら、これほどおめでたい人種はいない。この世の中、掃いて捨てるほどの嘘が存在するように、これまた数多の嘘の証言が存在する。中には、国権の最高機関たる国会において、平然か否かはいざ知らず、偽証なるものをしでかす不届き者もいる。それが姉歯だけで無いことは言うまでもない。

いわば、証言必ずしも真ならずは、フィクションの世界でもない限り、自明のはずだ。そのことを理解せぬはずもあるまい内外メディアや一部政治家どもが、「証言があるのに認めないのか!?」、「歴史の歪曲だ!」などと騒ぎ立てる。山拓の戯言も始末が悪いが、それらメディアや政治家達の確信犯的な日本叩きや政府叩きにも、真実(史実)の追求を隠れ蓑にした魂胆が見え隠れして、始末が悪い以上に不愉快極まりない。日本政府側の対応が歴史の歪曲あるいは過去を直視せぬ姿勢であるというのであれば、それら批判者の史実かどうか分からぬものを強引に「あったこと」として強弁する姿勢を何と評すべきであろうか。それこそ、所謂「従軍慰安婦」であった「憐れな」女性を食い物にしたゲスな行為ではないのか。女性を食い物にするという点では売春業者や女衒どもと変わりはないではないか。

それにしても安倍首相の答弁も腰が引けてやしないか? この人、ホント期待したほどでもなかったのかもねえ・・・・。





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