三十路の食卓

食事の記録・食にまつわるあれやこれや
かっこいいごはんも いいかげんな飯も 全ては私のリアリズム(おおげさ)

ぶどう一粒どう?( 駄洒落)

2012-05-03 19:15:25 | 食雑記
〈4月9日の食事〉
朝:ピザトースト コーヒー ぶどう
昼:お弁当(筍ご飯、にんじんしりしり、ほうれん草のおひたし、ニラの食べラー和え) ブルーベリーヨーグルト
夜:メゾンカイザーのパン二種 野菜ジュース+豆乳

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ぶどうを食べていた。
薄い赤紫色の皮は可食に値せず、中には小さな種が3つ4つほど入っているタイプのぶどう。
チリ産のもので、なんて品種かは分からずに食べている。

ところで、食事中は食べることだけに集中し、余計な事は考えない方がいいらしい。
食そのものから意識が削がれると、余分な食欲を呼び込みやすいのだという。
先日読んだ、ある僧侶が書かれた本に書いてあった。
だから、「ながら食べ」はよくないのだそうだ。
一人での食事時はPCでネットに繋いだり、携帯でツイッターを見ることが多い私にとっては、耳の痛い話である。

先ほど挙げたぶどうは、とても片手では食べられない代物だった。
皮をむき種を取り出せば、手首にまでつたうほどに汁まみれになるから、おのずとPCなんかはいじれなくなる。
必然的に、ぶどうを食べることだけに向き合うことになった。

甘味の方向は、食べなれているぶどうの味と相違ない。
ああぶどうだな、という味である。
けれど歯触りが随分シャリとしてて、かといって、凍ったもののシャリ感とは全く違うのだ。
粒一つが大きいのに対し、小さな種がいくつか入っているのも珍しく思う。

こんなの初めて食べた…と一瞬思ってしまったが、もしいつものようにPCを使いながら食べていたら、気づいていたかどうか。
なるほど、ぶどうと対峙し、ぶどうを食べることだけに集中していたのだ。

といえど、全く清らかな気持ちでぶどうを食べていたかといえばそんなこともなく。
ぼんやりと浮かんでいたのはワインのことである。

世界には色んな酒があるが、その原料は米やら麦やら、あるいは芋といった、だいたい主食になるような穀物である。
それに対して、ワインは果物由来なんである。
ワインの消費量の多い欧州のひとたちが、主食としてわしわしぶどうを食べるかといったらそんなことはなく、彼らにとってもぶどうは果物だろう。
もちろんシェリー酒のように果物由来の酒は他にいくらでもあるが、生産も消費も広い地域にまたがる酒の主原料が果物であることが、妙に面白く感じられたのだ。
ぶどう、世界一人気のある果物なんじゃないの。

とりとめなく思うそれは、何だかんだ言って邪念である。
なんてったって、酒だもの。

食べながら何も考えないというのは、いい習慣であると思う。
少なくとも、こんなブログを書くような私にとっては。
「ながら食べ」の誘惑には勝てず、ついつい目は活字を追ってしまうが、たまには目の前の食に対峙したいと思う。

ひとり洗足池

2012-05-03 15:33:26 | 食日記
〈4月8日の食事〉
昼:ツナサンド(マルイチベーグルのプレーンベーグル使用) コーヒー
間食:コーヒー @ドトール 洗足店
夜:筍ご飯 ほうれん草のおひたし ニラの食べラー和え 日本酒

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楽しかった花見から一夜明け。
まだまだ桜を見たい欲は衰えない。
こういうときに自らの日本人DNAを痛感する。
そこで、近所の桜を散策することにした。

私が現在住む大岡山には、徒歩圏内に洗足池がある。
確かこの池のことは、黒柳徹子さんが自らの幼少期のことを書かれた「窓際のトットちゃん」にも出てこなかったか。
って不確かなまま書いてしまったが、それくらい古く由緒ある、大きな池である。

越してきたばかりの頃の夜に一度行ったきりだから、周辺の木々がなんであったかさっばり分からないが、大きな池を望む公園にはたいがい桜があるもんだ。
上野公園然り、井の頭公園然り。
桜の名所かどうかは分からないが、行ってみることにした。

読みは多いに当たった。
池のまわりを廻るようにして生えるソメイヨシノ。
そして、すごい人だかりである。
花見客を見込んだ出店も多い。
「桜、あるかな?」どころか、桜の名所だと知らなかったのは私だけのようである。

立ち並ぶ出店に、昨日あれだけ飲み食いしたのにも関わらず、ぶらぶらと歩きながら何か摘まんでビールでも飲みたい欲が湧いてきた。
また強すぎる風に寒いほどだった昨日とは打って変わって、日射し温かなビール日和でもあったのだ。

池の形に沿うような人の流れに乗り、歩いてみる。
同時にそれは出店が並ぶゾーンにも沿う形なのだが、往路も復路も同じ道であるため行く人・帰る人が入り交じり、とてもスムーズには歩けない。
吟味して、人を掻き分け引き返してさっきの店のを買う、というのが難しい状況だ。

ああしかしえらい人だかりだよと、自分も人ごみの一員であるくせに、段々とこの人ごみに苛々してきた。
加えて、そのとき私は一人だったのだ。
ただ単に一人であるよりも、何組かの集団にいるときの方が、より一人であることを感じ入りやすいものだ。
普段は一人でも平気で、むしろ率先して一人を楽しむ傾向すらあるくせに、こういうときには滅法弱いのだから勝手な話だ。
いや、そもそもこれだって望んで一人で散歩に出かけたというのに、「友達も彼氏もいなければ、もちろん結婚だってしてないって思われてんだろうな…」と、苛々が転じて、ついには気が滅入るほどの状態になってしまってのである。
これは良くない。

更には、入れたばかりの携帯カメラアプリで桜の撮影をしていたところ、通りすがりの見知らぬ人にとても嫌なことを耳元で呟かれたのが決定打となった。
写真に夢中で通行の邪魔をした、というならいざ知らず、容姿の悪口である。
何だか存在が全否定された気分である。
気にするな、って話だろうが、気になるタチなんだもの仕方ない。
ダメージを受けて本当に疲弊してしまい、すごすごと、帰りについたのであった。

だからこれは、食に関するブログながら「食べられなかった」「飲めなかった」という記録なのである。
こんな心の暗部晒して何のつもりだという話だが、賑やかな場所には一人で行くな、一人で行くなら場所を選べ、という自戒として。
そして、これでは洗足池のネガティブキャンペーンみたいになってしまうが、普段の洗足池は落ち着いたいい場所だよ、とフォローも付け加えておこう。