ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

ラン

2008-09-12 | 読むこと。

           『ラン』
          森 絵都 


またまた走る小説です。
しかも作者は森絵都さん!!

直木賞をとられ、すっかり有名になられた森絵都さん。
『カラフル』、『宇宙のみなしご』、『つきのふね』、『DIVE!!』など
彼女の作品を中高生にぜひ読んでほしい!と思っていた私は、
もう児童書は書かれないのかなあ、と淋しく思っていました。

彼女の作品は、軽~いタッチで書かれているのに、
最後心にずしんと響きます。
気がついたら涙がとまらなかった、って、そんな感じ。

特に中高生に読んでほしいなあ、と思うのは、
主人公にたとえ紆余曲折があろうとも、ラストは前向きで、
ハートウォーミングな結末になっているからです。

たとえば、同じ中高生に人気のあさのあつこさんの作品だと、
どこか突き放したような、結末のはっきりしない終わり方が
多いような気がします。
それはそれで余韻が残り、読者がそれなりに想像したりできて
おもしろいのですが。

でも、ちょっと生きることにうんざりしているときには、
「生きるって、捨てたもんじゃないよ」って誰かが
ぽんと背中をたたいて言ってくれたら、
じゃあもう少しがんばってみようかな、
って思うことができるんじゃないでしょうか。

森絵都さんの作品はそんな感じなのです。
だから、日々の生活に嫌気がさした(?)中高生にお薦め。
いえいえ、中高生だけでなく、人生にくたびれた中年の
オジサン、オバサンにもいいですよ~(笑)


この『ラン』も、まさにそんな作品。
家族や身内を失い、限りなくあちら側に近くなった主人公環。
そんな彼女が走り出し(はじめのうちは、
あの世に近づくために走り始めたんですけどね)、
現実に生きる人たちとすったもんだがあった挙句、
走ることでしっかりこちら側で生きていけるようになる、
簡単に言うとそんなストーリーです。

ストレートに心に伝わった『カラフル』に比べて、
設定がまわりくどいなあ、とも思いましたが、
生きることに後ろ向きで、運動なんて全く縁のなかった主人公が、
フルマラソンを走り始めるにはこれくらいの動機付けが必要なのでしょう。

今までと違ってこの作品で特に(個人的に)目を引いたのは、
世間一般に嫌がられるオバサンの存在に目をつけたこと(笑)
オバサンというと、図太くて、下品で、
噂話が好きで、人の悪口で盛り上がって、たいてい悪役。
この作品でもそんなオバサンが登場し、主人公とバトルを繰り広げます。

しかし、誰だってはじめからオバサンなわけないですよね。
人生の修羅場をくぐり抜け、たくましく生きてきた女性が
いわゆるオバサンなわけです。
家族のために身を粉にして働き、
きれい事ではすまない人生で生きる知恵を身につけ、
たくましく生きてきたオバサンたち。

この作品に登場するオバサン、真知さんもそう。
姑を介護し、パートで働き家計を助け、
あちこちで人と衝突しながらも走る続けるたくましいオバサンです。

その、お互い憎み合っていた真知さんを見る主人公の目が
だんだん変わっていきます。
それは、限りなく死後の世界に近かった彼女が、
現世にだんだん比重が移っていく変化でもあるようです。
その真知さんが、最後までふてぶてしいのがいいなあ。
オバサンはそうでなくっちゃ(笑)

真知さん以外にも、ゆる~い感じのチームのメンバーは
ひとくせもふたくせもあって魅力的です
がんばっているのかいないのか、わからないところがいい(笑)

大切な人を失った者にとっては、死後の世界があるかもしれない、
と考えるのは一種の癒しかもしれません。
でも、いつまでも死んだ人にしがみついていてはいけないよ、
と、この作品は教えてくれます。

軽~いノリで書かれ、ときどき吹きだしそうになりますが、
最後はやはり泣いてしまいました。

それにしても、いくら走る小説を読んで感動しても、
一向に走り出す気にはならない私って・・・


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和傘の思い出

2008-09-09 | 日々のこと。
ごそ、ごそ、ごそ・・・。

リサイクルセンターにいらなくなったものを持っていくと、
主人が長い間ほったらかしになっていた古いカーペットを引っぱり出しています。
そのとき、「これ、何?」

カーペットといっしょに置いてあった箱に入っていたモノ。
それは1本の古い・・・和傘?

・・・わ~~~っ 
それは、しまいこんですっかりその存在すら忘れていた思い出の和傘。
な、懐かし~~~!!
一瞬、記憶が30年ほど前に飛んでいきました。



その和傘は、私がまだ高校生のとき、
姉と行った山陰の旅行で知り合った大学生の人たちから
プレゼントされたものだったのです。

古きよき時代だったのでしょう。
旅行で知り合って、車に乗せてもらって一緒に旅をして、
楽しい思い出いっぱいつくってまた別れていく、
そんなことがあたりまえの頃でした。

その大学生4人組とは、秋芳洞から萩、出雲と
旅のコースがほとんど同じだったので、ずっと行動を共にしました。
朝は宿まで迎えに来てくれ、帰りは宿まで送ってくれる
とても紳士的な人たちだったのです。

そして、埼玉から来ていた彼らは、旅の終着に私を送り届け、
そのあと京都まで姉を送り、そのとき訪れた大原で
この和傘を買って私たちにプレゼントしてくれたのでした。

実はそのとき、姉は私たちが姉妹であることを伏せ、
なぜか「いとこ同士」ということにしていたんですよね~
(おまけに姉は年までごまかしてました・笑)

もうかれこれ30年以上も昔のこと。
傘を開いたとたん、ばりばりっと破けるのではないだろうか、
と不安に思いながらも、おそるおそる開けてみると・・・






ご覧のとおり、どこも破れたりせず、虫にくわれることもなく、
美しいオレンジ色の鮮やかな姿が現れたのでした。

そういえば、わざわざ絣の着物を着て、
姉と二人でこの傘さして写真を撮ったことがあったっけ。
そのアルバムまで引っぱり出して、しばし思い出にふけります。

しかし、ふと、次女がこのときの私とちょうど同じ年頃やん!と気づき、
さぁーっと現実に引き戻されたのでした(大笑)

竹と紙でできた和傘は、あのころと少しも変わっていないのになあ。


コメント (6)
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降ったり、照ったり

2008-09-05 | 日々のこと。
今日は、お日さまが顔を出したと思ったら、
いつのまにか厚い雲におおわれ、
気がつくとザーッと雨が降り出しました。

あわてて洗濯物を取り入れて、窓を閉めてまわります。

しばらくパソコンの前にいて、
あれ日差しがきつい、と窓を見ると、また太陽が・・・。

降ったり、照ったり、どんより曇ったり。
そのお天気しだいで、あたふた走り回ってる私。
まるで人生を凝縮したような1日です。


子どもがいれば、子どもに振り回され、
親が老いれば、今度は親に振り回される。

いつか自分もそうなって、
誰かを振り回してしまうのかもしれないけれど。
それをお互いさま、と思えない今の自分が悲しい。


雨雲のレーダーを見ると、南のほうに発達した雨雲が。
夕方は雷雨でしょうか

夏の終わりの嵐。

でも、嵐はいつか過ぎ去ってしまうものだし、
やまない雨はない、と言うし。


穏やかな秋の日が、早くこないかなあ・・・

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源氏物語 <空蝉>

2008-09-04 | 源氏物語覚書
『源氏物語』を読んでて思うのは、
各巻の題名が趣深くていいなあ、ということです。
この「空蝉」という言葉もそう。
蝉のぬけがらという意味がありますが、
季節感があるし、いかにもはかなげで、
日本語の美しさというものを感じさせますね



話としては前の<帚木>の続きです。

伊予の介の後妻のつれない態度に、ひどい女だと恨むもののあきらめきれず、
源氏の君は小君にもう一度機会をつくってくれるよう頼みます。

その女の方はというと、源氏の君からの便りが途絶え、
怒ってあきらめてしまわれたのなら悲しいけれど、
こんな密か事は終わりにしなければ、と思っています。
しかし本心は、自分の仕向けたこととはいえ、
このまま忘れられてしまうなんて辛く悲しい・・・。
揺れ動く女心ですね。

ある夜、とうとう源氏の君は小君の手引きで再び女の下へ訪れます。
その夜は伊予の介の娘(つまり女にとって継娘)が来ていました。
なんと、源氏の君はふたりが碁を打っているところをこっそり覗くんです。
暑い夏の夜、着物もはだけてくつろいでいるところをですよ!


今のご時世だったら犯罪になりかねないこの覗き見も、
この時代はけっこう多かったようなんですね。
高貴な女性は顔を見られるのも恥かしかった時代。
見てはいけない、と思うと余計に男心をそそるのでしょう。
『源氏物語』の中では覗き見のシーンがたくさん出てきます。
(顔も性格もわからないのに、噂だけを信じてその女性の下へ通う、
 というのも今では考えられない話ですが)

この時代、建物の構造から考えても、女性の姿が全く見れない
なんてことはないと思うのです。
あちこち開けっ放しで、風で御簾が揺れたら中が丸見えだし。
これって、女性のほうもわかってて、
ひょっとしたら見られることも意識してたのではないか、とすら思います。
(そしてチラ見した人が、誰それの姫は美しいと言いふらすとか)


覗き見のあと、夜も更けみんなが寝静まったころ、
源氏の君は女の閨に忍び込みます。
ところが女の方は気配に気づき、かけていた薄衣だけを残して
逃げ出してしまいます。
実はこのとき、例の継娘が一緒に寝てたんですね。
とばっちりを受けたのはこの継娘。
源氏の君はてっきりあのときの女だとカン違いして(!?)
あれ、この前とはなんか違うなあ~と思いつつ、
その娘と夜を過ごしてしまうんですよね。

あとで気がつき、まっ、しゃーないかってことで、
その継娘には適当にうまいこと言って取り繕うんです。
当時真っ暗闇とはいえ、なんといいかげんな!
覗き見したとき、ふたりの体格が違うことはわかっていたでしょうに。

それでも、またあの女に逃げられた、と未練たっぷり。
残されていた女の薄衣を持ち帰り、空蝉の歌を詠みます。
それでこの女のことを「空蝉」と呼ぶようになったわけですね。

もしもこの夜、源氏の君の想いに応えていたら、
身分も低い平凡な彼女が、彼にとってこれほど
忘れがたい女性とはなっていなかったことでしょう。
拒み続けたからこそ、思い出に残る女性となったわけですね。


『源氏物語』に出てくる女性の中で、
どの女性が好きか、自分はどのタイプだと思うか、
ということがよく話題になりますが、
私が一番親近感を抱いたのがこの空蝉です。

平凡な人妻が、雲の上の存在のような源氏の君と
一夜を過ごしたんですよ~
忘れられないけど、このままだと辛く惨めな思いをするのは
目に見えてる。
それではプライドが許さない。
辛いけどもうこんなことはすまい、と頑なに拒む空蝉。
そう決心しながらも、やはり心は思い乱れるわけです。

空蝉視点で見ると、この巻は揺れる女心を描いた
せつない物語となっています。
しかし、一方で源氏の君にしてみれば、
せっかく忍んで逢い行ったのに思い人には逃げられ、
カン違いして他の女性と一晩過ごしてしまったという
なんともさまにならない失敗談。
この巻は、意外にそういうドタバタの喜劇的要素もあるんですね。

ふたりのとばっちりを受けてかわいそうなのが空蝉の弟の小君。
姉の空蝉からは源氏の君の手引きなんかして、と叱られ、
源氏の君からは、これだから子どもは役に立たない、と八つ当たりされ、
良かれと思ってしたことなのにね

そうそう、もうひとりかわいそうな子(?)がいました。
カン違いで源氏の君と一晩過ごした継娘、軒端の荻。
後朝の文ももらえず、それっきり。
空蝉と対照的に軽そうな女性として描かれてはいましたが、
文も出さないとは、女性にまめな源氏の君の意外な一面でした。


コメント (2)
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