現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

学生運動

2014-03-05 | Weblog

大学生による学生運動の影響なのか、高校でも執行部が、学生自治を叫び、その結果、入学当初は学生服が制服だったが私服OKへ校則が変更された。また、「卒業式」の意味について、何度も議論され、最終的に「卒業証書授与式」と呼ばれることになり、無味乾燥な、単なる手渡し式に変わった。

高野悦子著「二十歳の原点」もこのころ読んだと記憶している。作者は、確か立命館大学生で、学生運動へ傾いていったと思うが。


読書

2014-03-04 | Weblog

読書2というのをアップしたら、また内容が表示されず、なんで長文を書くとうまくいかないのだろう。文字数とかに制限があるのだろうか?

読書2という記事を書き出すにあたって、熱いミントティの入ったカップを傍らに置いて書き始めた。何か少しでも心をリラックスさせたいと思う気持ちが強く出てきているのだろう。最近、今まで自ら関心を向けることがなかった飲み物、まさにミントティなどは知る由もなかったが、それ以外にもココアなども積極的に試すようになった。また、香りにも多少、気を向けるようになってきたと思う。なんか安らぎ、落ち着きを求めている気がする。

昨日は3月3日、ひなまつりだった。雛人形は早くしまわねば、婚期が遅れると言われたが、それは人形の販売組合が流布した戦略だった。店頭にすぐにでも今度は五月人形を飾りたいために吹聴したとのこと。販売組合自体が認めたとのことゆえ、真実だろう。とはいっても人形に限らず、クリスマスツリーでも我が家ではただ単に片づけるのが億劫がゆえに、結構の長い間、そのままにしている。片づける、片づけないは、ものぐさをやめればいいだけの問題のような気がする。

高校に上がると、「青春の蹉跌」に代表される石川達三をよく読んだものだ。蹉跌の意味が、つまづきと、その時覚えた。覚醒という言葉は、目が覚めるという意味だが、蹉跌や覚醒がなぜか意味を聞いても、ピンとこないのは自分だけだろうか? 「ある愛の詩」の上映も高校時代だ。ライアンオニール、アリーマックグロウ。フランシスレイの音楽。剣道部の奴に刺激されて葉隠入門なる本も読んで、語り合ったものだ。武士道とは死ぬことと見つけたり。鍋島藩が、現在の佐賀県ということもこれから知った。ラジオのパーソナリティの加藤諦三についても、ああじゃこうじゃ言い合った記憶がある。現代国語担当の先生が、よく本の読み聞かせをやってくれた。「ヨーロッパケチョンケチョン」という紀行記が面白かった。あまり話しても信じてもらえないことに、中間期末試験を15教科こなしていたということだ。現代国語、古文、漢文、日本史、世界史、地理、物理、化学、生物、英文法、英作文、数学IIB、数学III、倫理社会、保健体育、音楽などの科目すべてをこなしていた。3年時に、受験科目以外は無視する者も多数いたが、なんとなく、それで失敗するのも余計に頭に来る気がして、まんべんなくすべてをこなした。よかったのか、悪かったのかわからない。

数学の授業もきつかった。この問題解けた奴? 解けてない奴? ノートに「私はアホよ。」と書かされた。それ以上にだめな時は、廊下を1往復走らされた。今、こんな授業はあるのだろうか?

高校3年になると、蛍雪時代(確か、旺文社だったと思うが?)を読むようになったと思う、「高3時代」とネーミングしないところに、ひとつの妙があったと思う。

柴田翔の「されど我らが日々」は何度か繰り返し読んだと思う。映画にもなって、歌手の小川知子が主演していた。立花隆の宇宙観にも惹かれた。倫理の授業の影響かどうか知らないが、キリスト教にも一時ではあるが、研究し始めて、中途半端に終わった。

 


2014年3月1日

2014-03-03 | Weblog

前回、「読書 1」というタイトルで、記事を書いたが、理由はわからないが、その内容がアップされていない。それなりの長文だったため、非常に残念。

2014年3月1日から、いわゆるスマホの使用開始することにした。いろいろなこと、状況を考えて切り替えた。作家の渡辺淳一が書いていたが、技術的な事柄は、曾祖父、祖父、親世代と順繰りに、その知識が蓄積されていき、どんどん進歩があり、新技術へ形が変遷していくとあった。

それに対して、恋愛などは、曾祖父であっても、祖父であっても、親であっても、それぞれ1代限りで、完結していくもので、継承、伝承などがない。たとえば、祖父が猛烈な恋愛をしていたとしても、親が同じ恋愛をするとはかぎらないし、生活の利便性があろうがなかろうが、大好きなものは大好きであって、相手に注ぐ情熱は相続などできはずもなく、血がつながっていてもそれぞれが自分の人生で完結する恋愛をするということである。

電話について考えると、電話がない時代があり、電話をかけるのに、くるくる回して、交換手経由の電話機があったと思えば、いわゆる家庭にあった黒電話の時代、それも指を突っ込んでダイヤルを回す型のものから、少しマイナーチェンジされた型式のもの。その後、プッシュホン式となり、その後、電話機にグリーンだとかのカラーバリエーションが登場する。公衆電話も赤色一辺倒から、形も色も変わってくる。家庭では、その後、親機、子機となり、「手ぶらコードレス」なるブランド名も登場してくる。電話とFAXが一体型となり、ロールペーパー給紙から、一般のA4コピー用紙使用が可能となってくる。1990年前後から、肩からバッテリーをぶらさげるような携帯電話から、自動車電話を使用する時代となる。

このように考えると、いつまでもガラケーにこだわっているよりも、現在のスペックのものの利便性を自分のこれからの生活様式の中へ組み入れるのも、柔軟な考えのひとつかなとも考えた。スマホ切り替え理由は、このことだけじゃなく、状況をいろいろ考えてのことだが、結果として、スマホ仲間スタートとなった。

前回の読書 1 を、思い出しながら少し触れてみよう。最近のニュースで、読書することが少なくなったということだが、自分自身は、言うほどの読書家ではないが、読書の面白さ、一心不乱にのめりこんで本を読むという時代もあったので、若い人には、本を求めて読んでもらいたいと願うものである。小学校のころは、同じような男の子は多数いたと思うが、コナンドイルの推理小説にはまった。1冊読むと、次から次へ、貪欲に読み漁った。コナンドイルから、エラリークイーン、アガサクリスティへ自然に広がった。Xの悲劇を読んだら、次にYの悲劇が読みたくなる。至極当然と思える。

中学校は、まずは月刊誌 中1コース、中1時代を読むことになる。その中に青春小説、(富島健夫などが、掲載していたと思うが。)毎月、それが楽しみで、買っていたようなものだ。そこから講じて、またTVでもドラマがスタートしたこともあるが、石坂洋次郎へ移行していく。すべてのタイトルを書き出せないが、こちらも次から次へ読み漁った。TVドラマでは、木下恵介アワーなるもの、竹脇無我、栗原小巻、あおい輝彦らによる、三人家族、二人の世界などを見るのが楽しみだった。主題歌は今でも覚えている。

高校へあがると、庄司薫の、赤頭巾ちゃん気をつけて→白鳥の歌なんか聞こえない→怪傑黒頭巾と続いたと思う。青春とはなんだ、これが青春だ、われらの青春、飛び出せ青春、毎週の楽しみだった。