前回、「読書 1」というタイトルで、記事を書いたが、理由はわからないが、その内容がアップされていない。それなりの長文だったため、非常に残念。
2014年3月1日から、いわゆるスマホの使用開始することにした。いろいろなこと、状況を考えて切り替えた。作家の渡辺淳一が書いていたが、技術的な事柄は、曾祖父、祖父、親世代と順繰りに、その知識が蓄積されていき、どんどん進歩があり、新技術へ形が変遷していくとあった。
それに対して、恋愛などは、曾祖父であっても、祖父であっても、親であっても、それぞれ1代限りで、完結していくもので、継承、伝承などがない。たとえば、祖父が猛烈な恋愛をしていたとしても、親が同じ恋愛をするとはかぎらないし、生活の利便性があろうがなかろうが、大好きなものは大好きであって、相手に注ぐ情熱は相続などできはずもなく、血がつながっていてもそれぞれが自分の人生で完結する恋愛をするということである。
電話について考えると、電話がない時代があり、電話をかけるのに、くるくる回して、交換手経由の電話機があったと思えば、いわゆる家庭にあった黒電話の時代、それも指を突っ込んでダイヤルを回す型のものから、少しマイナーチェンジされた型式のもの。その後、プッシュホン式となり、その後、電話機にグリーンだとかのカラーバリエーションが登場する。公衆電話も赤色一辺倒から、形も色も変わってくる。家庭では、その後、親機、子機となり、「手ぶらコードレス」なるブランド名も登場してくる。電話とFAXが一体型となり、ロールペーパー給紙から、一般のA4コピー用紙使用が可能となってくる。1990年前後から、肩からバッテリーをぶらさげるような携帯電話から、自動車電話を使用する時代となる。
このように考えると、いつまでもガラケーにこだわっているよりも、現在のスペックのものの利便性を自分のこれからの生活様式の中へ組み入れるのも、柔軟な考えのひとつかなとも考えた。スマホ切り替え理由は、このことだけじゃなく、状況をいろいろ考えてのことだが、結果として、スマホ仲間スタートとなった。
前回の読書 1 を、思い出しながら少し触れてみよう。最近のニュースで、読書することが少なくなったということだが、自分自身は、言うほどの読書家ではないが、読書の面白さ、一心不乱にのめりこんで本を読むという時代もあったので、若い人には、本を求めて読んでもらいたいと願うものである。小学校のころは、同じような男の子は多数いたと思うが、コナンドイルの推理小説にはまった。1冊読むと、次から次へ、貪欲に読み漁った。コナンドイルから、エラリークイーン、アガサクリスティへ自然に広がった。Xの悲劇を読んだら、次にYの悲劇が読みたくなる。至極当然と思える。
中学校は、まずは月刊誌 中1コース、中1時代を読むことになる。その中に青春小説、(富島健夫などが、掲載していたと思うが。)毎月、それが楽しみで、買っていたようなものだ。そこから講じて、またTVでもドラマがスタートしたこともあるが、石坂洋次郎へ移行していく。すべてのタイトルを書き出せないが、こちらも次から次へ読み漁った。TVドラマでは、木下恵介アワーなるもの、竹脇無我、栗原小巻、あおい輝彦らによる、三人家族、二人の世界などを見るのが楽しみだった。主題歌は今でも覚えている。
高校へあがると、庄司薫の、赤頭巾ちゃん気をつけて→白鳥の歌なんか聞こえない→怪傑黒頭巾と続いたと思う。青春とはなんだ、これが青春だ、われらの青春、飛び出せ青春、毎週の楽しみだった。