1960年代の小・中学校の教科書には、日本の4大工業地帯が記述されていて、テストにも何回もそれらに関する問題が出題されたと思っている。京浜、中京、阪神、北九州ではなかっただろうか?コンビナートという言葉も、その時に一緒に教わったと思う。なんの疑問も持たず、発展はすばらしいことと単純に考えていたが、その後、公害、光化学スモッグ、水俣病、水銀汚染など、へと繋がっていく。それらについても、言葉だけしか知らず、上っ面の知識しか持ち合わせず、一体、現場で、リアルに何が起こっているかを自分の目で確かめたこともない。技術発展それ自体は素晴らしいことと思うが、作用あれば反作用ありで、その反対側では何が起こっているかまで、視野を広げる必要がある。
瀬戸内海で、工業発展の裏で、汚染が進み、赤潮発生などの被害のため、優良な漁場が荒れてきた。かき筏の養殖場での、海水の透明度は、別の同じ水深の所と比べて、2倍近くもきれいことがわかり、かきがプランクトンを食べて、浄化に寄与することがわかった。また、藻の類を人工的に育てることで、やはり魚が卵を産みつけるようになり、陸上でいう森林に近い状態が生まれ、光合成が始まることから、海の中で酸素があふれ、さらに大きな魚を呼び込む。絶滅危惧種までも、復活してきている。植物による自然の営みが、汚染された海を元へもどしていく生命力、牽引の役割を果たしている。この浄化機構には、なんら工業的なものなどなく、あくまでも自然の摂理だ。現在の状況まで回復させるのに30年を費やした。まだまだこれから同じような取り組みが、将来の世代に向けて取り組まれていく。このことをSATOUMIと呼び、この単語自体が、世界で通じるものとなった。
工場建設は1年でできたにせよ、元へもどすのには、10倍以上の年月がかかる。自然の営みの原点は、微生物の力。前回取り上げた、潔癖症の方々に、もちろん悪い細菌、雑菌を嫌う気持ちは理解するが、目に見えない数々の微生物のおかげて、生命が維持されていることに同時に目を向けてもらいたいなと思う。工業地帯のナイトクルーズなども流行っているらしいが、無機質なものにたいする美しさ(ビジュアル的美しさ)に評価を加える前に、有機質な営みの大切さに支えられていることにも思いを馳せてもらいたい。