現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

会話を楽しくするために創意工夫した。

2014-03-19 | Weblog

生まれた時から、ケータイなどがある世代にとっては、ケータイがない中で、どうやって待ち合わせしたり、コミュニケーションをとるのかとある意味、本気で悩むらしいが、あくまでも人間はアナログであり、実際に顔をつき合わせて話をすることが本質であり、学ぶものがあり、楽しいのだ。もちろん辛辣になったり、険悪になったり、いろいろ起こるものだが、それが人生そのもの、生きている証ではないだろうか?

もう30年、35年も前のことであるが、自分なりに会話のネタを創意工夫して提供してきた。なんとなく、占いめいたことなども面白かったので、そういった要素を取り入れたりした。そのひとつが、女性に対して 「あなたは、Y百恵派? M聖子派?」という質問だ。当初は、自分自身、Y派と答えてほしかったのだが、何度も同じ質問をトライするうちに、なんとなく傾向らしきものが出てきて、最後のほうは、M派と回答する女性のほうが、実際は堅実的(保守的)ということが見えてきた。Y派と回答するほうが、実際は奔放的な本質を持ち合わせていると思いこんだほうが、どちらかというと当たっていると思っている。そこから読み取れるのは、女性は実生活では具現できないものへのあこがれを表現するということだと考えている。これは、あくまでも、今、繰り返される言葉でしめくくると、個人的見解であります、ということになるのだが。

もうひとつ、簡単なストーリーを提供するので、一度、考えてみてほしい。

ある時代、ある所に、相思相愛の恋人がいた。男をM氏、女性をLさんとしておこう。ある日、M氏が大けがをして、ホスピタルへ入院(院長 H氏)という事態が発生した。それを知ったLさんは、心配でたまらず、一刻も早く病院へ駆けつけたいが、Lさんが、病院へ行くには、橋のない大きな川を渡らねば行けない。渡し船を持つG氏が、大金を払えばすぐにでも船を準備するという。しかしLさんは、所持金なし。もうひとり渡し船の所有者(S氏)が現れ、一晩付き合えば、船を出すという条件だった。お金のないLさんは、やむなくS氏へ依頼した。翌日、病院へたどりつくことができたが、渡し船の1件のいきさつを知ったM氏は激怒し、別れ話となってしまった。それらのやりとりを観察していた、H病院長は、M氏を非難し、Lさんを一生懸命慰めた。

と、まあ、こんなストーリーですが、登場人物の5人である、M氏、Lさん、H氏、G氏、S氏を、あなたが共感できる順番に並べてみてください。(多少のことにこだわることなく、無理やりにでも順番づけにトライしてみてください。)

こんなことを話に持ち出しながら、フェイス ツー フェイスの、アナログなコミュニケーションを成り立たせてきた。

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