現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

自分探し 13/100

2014-06-06 | Weblog

USAに本社を置く会社が、日本に法人を設立することになり、設立以前から、その一員に加わった。設立登記手続きなどは、依頼した弁護士事務所でフォローしてくれるが、そういった専門家に任せる諸手続き以外のことは、すべて独りで行った。その時、住まいは福岡だったため、単身上京して、ホテル暮らしだった。いろいろなことに着手しなければならないが、まずはオフィスを決定しなければならない。まあ、土地価格が違うことなど、頭の中にしか知識のない米国人は、スペースの広いところを最初は望んだが、そんあ簡単ににはかなえられず、いつしか、この広さで、この金額かといった中で、最後はあきらめてもらうしかなかった。そのため、当然、ロケーションとしては、都心から離れてしまう。それでもさらにびっくりしたのは、新築物件で、室内の壁に、約10cmぐらいの傷というか、クラックというか、壁紙が切れているだけのようなことにも目をつけて、これは賃料を安くする交渉材料になると自信たっぷりに言うから、どうぞやってみてくださいと体験してもらうことを勧めるだけだった。相手から、だめと言われて、交渉の余地がないとわかるのに、そう時間はかからなかった。契約書を交わすと同時に、さらに公正証書作成も求められた。それというのも、本社がUSAということからくる不動産会社からの要求で、それに印紙代がかかるというと、契約書と公正証書の違いや意味合いを説明するのには閉口した。一言でいえば、郷に入れば郷に従えだ。

なんとか、事務所の賃貸が始まった。事務所に行く。中に何もない。がらんとしたままだ。当時は、灰皿を買ってきて、床に座っていた。まだ自動車電話はそこそこあったが、個人がケータイを所有していなので、まずは電話が必要だった。また、いつまでも床にすわっていられないので、ひとつのデスクと椅子の準備にかかった。電話とデスクが整ってから、外へ出かけなけらばならないので、留守を守るアシスタントの募集にかかった。まだ、オフィスに社名入り看板もなかったので、段ボールの切れ端に、黒いマジックで、手書きで書いて、ガムテープで、玄関ドアにはったものだ。10人ぐらいの募集があり、面接をした。おそらく、まずは玄関前で、ためらったことだと思う。中に入ってきて、さらに何もなく、デスク一つを挟んで、椅子が2脚あるだけ。ゼロからのスタートということを強調したら、以外にも、結構、みんな気に入ってくれた。それ以前の会社で、各地方の営業所で、SECOMとのつながりが深く、また、小生自身もSECOMの重要性をわかっていたので、すぐに連絡を取り、ドア自体をSECOM仕様にしなければだめなこともわかっていたので、即作業依頼した。セキュリティだけは一流だった。SECOMの営業マンが、小生の以前の会社が、全国でどれだけの契約金額なのか調べて把握しており、小生も営業所長だったため、金額わかっていたので、それと同等レベルにしてもらった。ついでに、玄関ドアに貼る、社名の看板もタダでつけさせた。それ以降、その営業マンも、何も用事がないのに立ち寄ったり、結婚相談にのったりと付き合いをさせてもらった。

毎月の会計レポートのために、会計事務所を訪ねる。給与計算、社会保険計算のために、社労士事務所を訪ねる。法人としての保険関係もあるので、それらの方々ともお付き合いする。それ以前の会社で、仙台営業所長、福岡営業所長と経験していることが、すごく役に立った。以前にも書いたが、設立当初の銀行は、名前はだれでも知っている銀行だが、何もしてくれないので、地元の信用金庫に取引行を切り替えた。はっきり申すと、大手銀行は零細・個人には、愛情を注ぐことがなく、あくまでも、one of them 扱いだ。それは、これから始まる営業取引でも同様に言えることとなっていく。

先のSECOMの営業マンや、それ以外のたとえばリコーの営業マンなども、近くに来たら、立ち寄ってくれて、他の会社と何か違ってる所を感じるとよく言われたものだ。、


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