西武ライオンズの伊原監督(65歳)が陣頭指揮から離脱とのこと。今年の1月から2月のころ、ラジオの今年のプロ野球ペナントレースの戦いに挑む新しく就任する伊原監督のインタビューがあった。その時語っていたことだが、まずは現有投手力でも十分戦える潜在的戦力はある。最近の若者へ厳しく指導していく。まずはユニフォームの着方からだ。ユニフォームの裾をだらしなく被せているだけの着方は禁止。ヤンキースの田中マー君のような着用はだめということだ。メジャーリーグでも、マー君と同様の選手を多く見つける。イチローの着方はOKだ。どうだろう。今、日本のプロ野球界では、最近の着用のしかた、マー君と同じようなほうが、7割以上占めているのではと推測する。もしかしたら、割合はそれ以上かもしれない。見た目はなんとなくだらしない。それでも支障がないのであれば、この流れはとめられないだろう。従来の着方は、全く違うものではあるが、昔の兵隊さんのゲートルのように思える時もある。実際に、まじかにゲートルと触れたことはないが。ただし、きっちりと織り込んでいるので、引きしまっている感じは出る。
約4年間、少年野球のコーチングスタッフとして関わった。当時でも、少年サッカークラブと比較して、野球系は体質が古いと思ったことがある。頭は丸刈りがベターだが、基本的に短め。それに比べて、FC(サッカー)系は、自由で、染めているガキまでいた。野球は、練習開始にあたり、誰もいないグランドに向かい、「グランドに礼」でスタート、終了時は、誰もいないグランドに向かい、「ありがとうございました。」 FC系も練習終了時にグランド整備(ならし)をしているのだろうが、雑。時にはやっていないことが明白ということもあった。もちろん、ユニフォームはおそらく今でも全国、昔風を貫いていることだろう。(だらしない風に着用している少年チームをほとんど目にしたことがないから。) 大人のコーチングスタッフは、特に野球系は、そのような指導方法で自己満足しているように思えた。
先の伊原監督だが、伊原さんのことはあまり知らない。ただし、3塁の走塁コーチャーボックスに立ち、選手の走塁指示が絶妙と紹介されていたことを覚えている。正直、それぐらいだ。ラジオのインタビューを聞いていて、正直、「自信満々に言っているけれど、そんな化石時代のことばかりで大丈夫かな?」 と思った。そう考えること、現状にメスを入れたい気持ちはすごくわかったが、本当にそれだけでいいの?と思った。一番違和感を感じたのが、グランドに集合したときとか、食事の時に、ひとりひとりスピーチさせるというものだ。自分の時代には、それがすごく功を奏したとのことだが、そんなことで、野球力がアップするなら、みんなそれをやればいいのではと素直に思った。自分が選手だと仮定したら、なんかぞっとするなと直感した。どうも、この手の、小生は、こりくつ(小理屈)と勝手に呼んでいるが、へりくつ でもなし、やたら正当性をもっておしつけてくる、本人も確証があるわけでもないのがみえみえなのに、あえてそれを押し通してくる。そういうものは好きになれない。
日本ハムの二刀流をやっている大谷選手。入団時のひとつのポイントだったと言っても、それだけにこだわっているような気がしてならない。なんか彼一人のために、チームすべてが、巻き込まれている気がする。楽しいのは、大谷本人だけ。自分が同チーム員と仮定したら、面白くもなんともないだろう。チーム成績は低迷している。彼を持ち上げるだけ、レギュラーになれない数人がいるはずだ。もちろん、それらの者たちが、大谷を押しのけるレベルをみせつければいいのだろうが、それとは別に、大谷との密約めいたものがあるいうか、大谷を大切に考慮しまうよみたいな、腫れ物に触るような雰囲気を感じてしかたない。
すべてが最新式のしくみがいいと言うこともないし、そうかといって大昔そのまま何も変えないというのも、というより、朗読会とか、なんか儀式めいたことは好きになれないなあ。
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