現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

親父は税務署に勤め、

2018-04-20 | Weblog

その後、税理士として会計事務所を開業した。

税務署勤めのころは、国家公務員というのは安月給でやってられないとおふくろが愚痴るほど、給料も安く、

休みが取れることと、恩給がつくことだけが、まだましなところか、としょっちゅう聞かされていた。

他人様の金を数える銀行員と、公務員にはなるもんでない、と、聞かされていたので、そっくり感化されて、

全く、その道へ進む考えなど、はなからなかった。

今の国家公務員はどうよ、退職後もいくつもの会社の役員や顧問へ天下りができて、その先には私立の大学の教授へ

ほいほいとなって、いくつになっても、何千万円という年収で、さらには、TVコメンテーターなんぞで顔を売れば、

その後講演会なども開催できる身分となる。いたれりつくせりだ。

なんで税金でここまで、公僕たる者たちを優遇するのか、他国のように、もっと質素なレベルでの待遇で、それでもやりたいという

高潔な者たちだけにやってもらうような仕組みがいいと思うけれど、いまさら自分たちの待遇が下がるような愚行は、

誰も手をつけたがらない。よほどの改革の国民から選挙で選ばれた、庶民派リーダーの台頭がなければ、この制度が変わることは

ないだろう。


朝の駅へ向かう、まだ若いと思える者が

2018-04-20 | Weblog

イヤホンして、スマホ片手に歩いているが、

周りに注意する気配もなし、なんで駅に向かう、たかが、10分程度の間、まっすぐ正面や快晴の空気を上を向いて

吸い込みながら歩けばいいものを、なんで姿勢悪く、首を前に、画面を見ながら歩く姿を見て、情けなくなる。

一体、その時に、どんな情報が欲しいのか? ただただあきれてしまう。

70年、80年前、普通では、電話も、車も、電気冷蔵庫も、白黒テレビも、電気洗濯機も、エアコンも、なかったものだ。

電話も、呼び出し欄があり、隣近所の電話を借りたものだ。洗濯機がないから、手でゴシゴシ洗う。トイレも水洗でないから

汲み取り屋がバキュームカーで吸い出しにやってくる。冷蔵庫もないから、単に一貫目とかの氷の塊を買って、箱の中で、

物を保管する。買物には、毎日市場へ行く。スーパーマーケットすらないから、個人店舗の野菜屋さん、肉屋さん、お菓子屋さん、

それぞれの店で、そこで売られているものを順繰りに買っていく。買い物かごを持って。

回転すしなど、ファミレスも何もない。宅配ピザなどなし。普通のお店から出前を取るが、それも特別な時だけだ。

 

確かに、技術が発達した。それまで歩いたり、自転車で行っていたが、車で行けば、相当の時間が短縮されたはずだ。

電話ですら、便利なものだが、FAX,メールと、今は連絡手段が山とあり、手紙のやり取りせずとも、たちまち連絡ができる。

全自動の洗濯機、おそうじロボ、自動で人に変わりやってくれるから、移動時間も大幅に短縮されたから、自由に使える

余った時間が相当できるはずなのに、なんでこんなにも、あくせく追いかけられるのか?

少しも時間が余ってる感覚がない。技術の進歩で、人手が要らなくなっただろうに、なんで自由時間がないのだろう?