イヤホンして、スマホ片手に歩いているが、
周りに注意する気配もなし、なんで駅に向かう、たかが、10分程度の間、まっすぐ正面や快晴の空気を上を向いて
吸い込みながら歩けばいいものを、なんで姿勢悪く、首を前に、画面を見ながら歩く姿を見て、情けなくなる。
一体、その時に、どんな情報が欲しいのか? ただただあきれてしまう。
70年、80年前、普通では、電話も、車も、電気冷蔵庫も、白黒テレビも、電気洗濯機も、エアコンも、なかったものだ。
電話も、呼び出し欄があり、隣近所の電話を借りたものだ。洗濯機がないから、手でゴシゴシ洗う。トイレも水洗でないから
汲み取り屋がバキュームカーで吸い出しにやってくる。冷蔵庫もないから、単に一貫目とかの氷の塊を買って、箱の中で、
物を保管する。買物には、毎日市場へ行く。スーパーマーケットすらないから、個人店舗の野菜屋さん、肉屋さん、お菓子屋さん、
それぞれの店で、そこで売られているものを順繰りに買っていく。買い物かごを持って。
回転すしなど、ファミレスも何もない。宅配ピザなどなし。普通のお店から出前を取るが、それも特別な時だけだ。
確かに、技術が発達した。それまで歩いたり、自転車で行っていたが、車で行けば、相当の時間が短縮されたはずだ。
電話ですら、便利なものだが、FAX,メールと、今は連絡手段が山とあり、手紙のやり取りせずとも、たちまち連絡ができる。
全自動の洗濯機、おそうじロボ、自動で人に変わりやってくれるから、移動時間も大幅に短縮されたから、自由に使える
余った時間が相当できるはずなのに、なんでこんなにも、あくせく追いかけられるのか?
少しも時間が余ってる感覚がない。技術の進歩で、人手が要らなくなっただろうに、なんで自由時間がないのだろう?
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