現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

ニューヨーク白熱教室

2015-04-23 | Weblog

少し前には、ハーバードのサンデル教授の白熱教室が人気だったが、その後も白熱教室シリーズは続いていて、最近はニューヨークの物理学者、日系3世の未来の想定図を示してくれる講義が面白い。未来と言っても、2020年ごろには、との話になる。あと5年だ。教授いわく、今の我々が、電気の流れ、電流などを意識しないのと同じように、コンピューターという単語、コンピューター制御がどうのこうの、といったところを意識しなくなるぐらい、その制御が活用されていることが当たり前になっているとのこと。コンタクトレンズに情報が書き込まれていたりして、目に映る人物を認識した場合などに情報が目の前に現れるだとか、もちろん、車も自動運転だから、寝ている間に目的地へ。これらは、少し極端かもしれないが、いずれにせよ、そのようなことが日常、当たり前になっている、いくということだ。1995年にwindows95出現以来の短期間、短年数での様変わりは凄まじい。いろいろなことが、すべて前倒しで実現となっていくのではなかろうか?

この教授の面白いと思ったところは、次から次へと、こうなっていくだろうとの具体事例を多方面にわたって、リストアップして具体的に紹介していることだ。また、それが、実際、そうなるだろうとの共感を覚えるところだ。このような内容を発表する日本人の報道に出くわしたことがない。どうしても起こってしまった現象に対する、ぐだぐだ評論しているものばかりだ。航空機事故後の、評論家のああだこうだ。殺人事件後の、プロ?と呼ばれる方々の、あたらない推理ばかり。沖縄や福島の、今後につぃて、具体的に、こうなるのではないかとの、言いにくい事柄をも含めて、批判を恐れず、建設的な未来像を述べる、報道する、客観視する、勇気、度量の大きさが今は、必要なのではないのか。

終の棲家を、保育園児の声が騒音。ばかなことを言ってるんじゃないよ。みんながみんな、同じ小さな子供だったんだろうに。そんなに静かなところがほしければ、いくらでもあるように思うが。未来の宝のことを、もっと深く考えなさい。