現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

やっぱり

2015-04-13 | Weblog

戦後70年となるが、開戦前に戦いに踏み切るかどうか、どのように対ソ連、対米戦略をとるかの議論において、その当時から、何も先のことをよく分析することもなく、場当たり的に、言いだしっぺとしての責任を取りたくない、責任は上へ、上へと、日本流の逆権限移譲的な、結論先送りだけの無駄な会議にもなってない話し合いを繰り返した揚句の結果が、戦争への突入となってしまい、戦争開始後も、例の神風作戦についても、なんらの勝算もなく、やはりその場しのぎの場当たりなものだったみたいだ。

80年も、いや、それ以上の年数の前から、日本人の、とくに、日本の男性の、自分からは結論出さず、付和雷同が、ずっと続いてきている模様だ。また、その当時のことを、しゃあしゃあと、何も明確な考えなかったと言いきってしまう、その姿勢にも、救いようのなさを感じてしまう。なんでもっと計画性というものを重視しないのだろうか?

それと、長年かけて、いわゆる熟成して、人を育てようとする余裕というか、計画性というか、耐性がまったくないのには、本当にあきれてしまう。なんで、そんなに目の前のことだけにしか目がいかないのか? 発展途上国のように、電線、電柱をむき出しに外へさらしているのも、その典型的な例ではないか?

いろいろな側面が各国にあるとは思うが、目先を追いかけていたり、万事につけ余裕がなかったり、先のことの予想を聞かれて、その道の専門家と名乗る人物ですら、やってみないとわからないとなる。専門家の看板下ろしたら。

それに比べて、USA大統領候補を何年もかけて絞っていく過程などは、良い悪いわからないが、日本では到底、マネのできない技であることはまちがいない。

ぺリリュー島などで、具体的な生き残る指示も与えられず、戦死にだけ突っ込んでいた作戦の責任を、一体、誰がとったのだろうか? それも東京裁判に100%委ねたなんて言うのでは、まさか、ないだろうとは信じたいが、それすらもおそらく危惧している通りと考えるのが、可能性が高いであろう。