゛まるかん人゛プラトーク

元気とキレイを追求すると、人生は楽しく過ごすことと・・・!?

一流アスリ-トの提言は賢く利用!?

2008-05-28 15:00:00 | 日記・エッセイ・コラム

専門家のアドバイスはレベルが高すぎる?

先日ある放送で、ウオ-キングに関しての講義をしていました。                             ウオ-キングとはこの方法が正しくて、ただ歩いているのは散歩で                            すとのことでした。マラソンとは決められた距離を完走することではな                           いの?、ジョギングとは軽いかけっこではないの?ウオ-キングとは                           歩くことではないの?それぞれに効率的な理想的な方法が確立され                          ているのでしょうが、個人差によって、はっきりとした違いが見られま                          す。ついつい専門家は、競技者養成のための発言に成りがちですが、                         大半の方は如何に健康でいられるかが目標と思われます。それでな                           くても、運動嫌いの方か多数いらっしゃるようです。幼少の頃の、上手                          に出来なかったことがトラウマとなって、また逆に激しい練習に参加し                         て、運動嫌いになった人もいるようです。人は、寝続ける以外の静・動                          の態勢を少しでも組み合わせて行動する、それだけで十分筋肉の構                          築には寄与するようです。後は有酸素運動や無酸素運動の正しい知                          識を得て、呼吸の効果的な使い方を知ると、家の周りの景色を堪能し                          ながらの散歩も、健康のための有効な手段となることを自覚するべき                          です。人は、ついつい国の政策に頼りがちです。人に頼ることだけで、                          一生過ごすことより、介護法も最後の最後の拠りどころにする位の心                          構えで、ピンピンコロリでこの人生は楽しかったはとおさらばしたいも                           のです。そのためにも、日頃から出来るだけ自分のことは自分でする、                         その上継続的な散歩やストレッチでそこそこの筋肉を構築し、カロリ-                          過多にも過小にもならないバランスの良い体形を維持し常に何かにチ                          ャレンジする精神を持ち続け、天寿をまっとうしたいものです。

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ひろ さちやのほどほど人生論(70より)

2008-05-28 11:30:00 | 日記・エッセイ・コラム

情報社会に必要な知恵                                                     強い信念支える宗教心

たとえば、あなたががんになつたとします。当然、医師と相談します。                          けれども、医師のうちには、「がんと徹底的に闘え」という意見もあ                           りますが、逆に「がんと闘うな」という意見もあります。医師は専門                           化です。専門家というのは自分の意見を持つことによって生計を立て                           ているのですから、他人と同じ意見だと困るのです。専門家の意見が                          一致することは少ないのです。そうすると、がんと闘うべきか、闘わな                          いほうがよいのか、あなたは迷います。迷わざるを得ません。これは、                          教育の問題にしても、人間関係や経営の問題にしても、同じことです。                         専門家からいろいろと教わっても、最後に決断するのはあなた自身                           です。あなたが、-主体性・強い信念-を持っていないと、他人から                           いろいろと教われば教わるほど、迷いが深まることになります。いま、                           アメリカの大リ-グで活躍しているイチロ-選手は、日本のプロ野球                           の球団に入ったとき、その打法を変えるようにとコ-チから言われまし                          た。コ-チというのは専門家で、専門家は選手を弄くり回すことを飯の                          種にしています。しかし、イチロ-選手は強い信念でもって、そのコ-                          チのアドバイスを拒否しました。普通であれば、彼はそのまま消えてし                          まったでしょうが、幸いに監督が彼を支持してくれたので、今日のイチ                          ロ-選手があるのです。われわれも、主体性・強い信念なしに専門家                          に頼ってばかりいると、専門家に弄くりまわされることになりかねませ                          ん。だが、残念なことに、わたしたちはそれほど強い信念を持つことは                          できません。職業上の問題や技術に関する問題であれば(イチロ-選                          手の場合はそれでした)、独自の信念を持つことができますが、人生                           の問題、生き方の問題となれば、なかなか信念を確立できません。そ                          して、がんになった場合などは、医学の問題ではなしに生き方の問題                          です。ですから、専門家であるはずの医師自身が、がんになったときに                         は迷ってしまうのです。では、どうすればいいのでしょうか? そう問わ                         れても、これといった一般的な方法があるわけではありません。ただ、                          わたし自身に関して言えば、わたしは仏教を学んでいる人間です。で                          すから、仏教か゛教える智恵でもって、人生の諸問題を考えることにし                          ています。現代の日本は情報社会です。多種多様な情報が氾濫してい                         ます。うっかりすると、わたしたちはその情報に振り回されています。健                         康のためにということでダイエットをして、拒食症になって死ぬ人もいま                         す。うつ病の人に「がんばれ!」と励ましの言葉をかけて、それで自殺                          することもあります。だから、情報社会にこそ、その情報を判断するため                          の智恵が必要なんです。そしてその智恵を教えてくれるのは、わたしは                         宗教以外にないと思っています。わたしにとっては、それが仏教なので                        す。(宗教評論家)

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