(三重県鈴鹿市庄野町 2008年3月7日)
樹齢三百年の神木スダジイがある川俣神社は東海道庄野宿の鎮守であり、かつては貴船神社と称した。元禄十六年(1703)近隣字門田より字西古屋敷に遷座。明治40年(1907)現在地に鎮座した大国神社と合祀し川俣神社となった。
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(横浜市神奈川区神奈川)
万延元年(1860)横浜港を守るため、勝海舟が設計し伊予松山藩が築造した星形八千坪の砲台である。実戦で使用されたことはなく、外国の貴賓祝砲として使用されたのみである。埋没する台場跡の殆どはJR貨物東高島駅構内となっているが、一部が台場公園となっている。
(真澂神社 三重県亀山市西丸町 旧郷社 2008年3月7日)
延享元年(1744)備中松山から石川総慶が亀山城に入封した際、石川氏の祖とされる源義家と義時、石川義純、家成を祀り創建したのが始まりである。
(三重県亀山市若山町 2008年3月7日)
昭和3年(1928)亀山尋常高等小学校内に町立図書館として開館し、昭和15年(1940)にはRC造2階建を建設し移転。戦中戦後の一時期は亀山城多聞櫓を利用していたが、その後復帰し昭和55年(1980)現在のRC造、延床面積959m2の建物が竣工するまで使用された。蔵書は約15万点である。
一時図書館に使用された多聞櫓
(静岡市清水区真砂町 2008年2月21日)
昭和21年(1946)に開設された、長さ430mの商店街である。昭和42年(1967)にアーケードが設置され、長崎屋、丸井、西友、ジャスコ、ダイエー等大規模小売店が出店し繁栄したが、バブル崩壊後、西友以外は撤退した。現在のアーケードは昭和57年(1982)に改修されたものである。
(東京都千代田区富士見)
(入阿波守内刻印)
(石垣跡のモニュメント)
寛永十三年(1636)阿波徳島藩主蜂須賀忠英によって築造された、江戸城の見附(城門)の石垣である。内側の石垣は失われたが、外堀側の石垣は残存している。
(入阿波守内刻印)
(石垣跡のモニュメント)
(静岡県富士宮市山本 2008年2月21日)
山本勘助の曾祖父である吉野貞倫(さだとも)が創建し、誉田別尊(ほむたわけのみこと)を祀るが、吉野氏の祖でもある多田満仲(源満仲)も併せて祀っているという。拝殿の奥には、嘉永六年(1853)に建造された本殿が収められている。