(愛知県豊田市保見町西古城・西ノ山、東古城 1990年4月25日)
文字通り伊保郷の東西に位置する丘城。児島氏裔三宅氏が室町時代に築城した城である。
城跡は共に曲輪、堀及び堀切、土塁が残り、伊保古城或いは伊保城前身と共に三宅氏が加茂郡広瀬から勢力拡大のために築いた城群と考えられる。
西城は後に織田氏臣佐久間信盛が入城、東城は永正年間に松平定勝が入った。
東城は昭和56年保見中学校建設に伴う本丸跡発掘調査で、天目茶碗や擂鉢片の他、焼土を検出したという。寛政七年(1795)の記録「伊保之記録」に「東の城主は三宅伊賀守、松平右兵衛佐様攻め寄せ徳田の山(隣接する山林)より火を掛けて焼き払い」とある。
東城の築城者は、三宅加賀守清宣という。我が家の系図に「三宅加賀守清忠娘、美濃守通常室として迎える」とあり、近い時代にこの伊保の地と関連があったのかもしれない。
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