(夷城 円の平城 愛知県新城市上平井) 国広城南東に存在した丘城である。表題の両城は、同様とする説と、城と館とみる説があり、共に天文六年(1527)奥平定雄が築いたとされる。また、奥平信昌と亀姫の間に生まれた、家昌、忠明(後に徳川家康に養子)が当地で出生したという説がある。昭和53年に訪れたとき存在した五輪塔が、今回は見出せなかった。また、城跡を分断して通水する豊川用水の関連工事が進められており、南側の一部が削られていた。 (関連記事:タイカ遺跡)
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