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西に宝飯郡江村(豊川市江島町)南に八名郡御薗村(豊川市金沢町)東に一鍬田村が接し、標高382mの吉祥山北斜面に位置する新城市八名井。もと八名郡八名井村であった。
豊川、宇利川左岸のこの集落は、水が豊富なところでもある。故に縄文時代からの人々の営みがあった。然し伝説では、水の少なかったところとされている。
この村に通りかかった弘法大師が、錫杖で八ヶ所の地面を突いたところ、水がこんこんと湧き始めたという。
それは亀井戸、男(大)井戸、女(小)井戸、柳井戸、桜井戸、稚児井戸、藤井戸、岩井戸の八つ井戸で、地名の由来といわれている。
その藤井戸、岩井戸、稚児井戸の湧き出た吉祥山中腹に、十二坊を配した今水寺(廃寺)が建てられた。
明治20年、賀茂用水(後の牟呂用水)が通水し、村の中を通っていた「川添道」も、下手の用水沿いに造られ、今も変わらぬ静かな集落となった。
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(関連記事:旗頭城)
豊川、宇利川左岸のこの集落は、水が豊富なところでもある。故に縄文時代からの人々の営みがあった。然し伝説では、水の少なかったところとされている。
この村に通りかかった弘法大師が、錫杖で八ヶ所の地面を突いたところ、水がこんこんと湧き始めたという。
それは亀井戸、男(大)井戸、女(小)井戸、柳井戸、桜井戸、稚児井戸、藤井戸、岩井戸の八つ井戸で、地名の由来といわれている。
その藤井戸、岩井戸、稚児井戸の湧き出た吉祥山中腹に、十二坊を配した今水寺(廃寺)が建てられた。
明治20年、賀茂用水(後の牟呂用水)が通水し、村の中を通っていた「川添道」も、下手の用水沿いに造られ、今も変わらぬ静かな集落となった。
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