(岩手県北上市稲瀬町内門岡 国指定史跡) 坂上田村麻呂が毘沙門天を祀ったのが始まりという言い伝えがあり、平安時代の歴史書「日本文徳天皇実録」にも寺の存在を示す記述がある。平安時代に最盛期を迎えるが、次第に衰退していった。朝廷側につき流罪となった河野通信も、晩年にこの寺で過ごし最期を迎えている。昭和38年(1963)以降随時発掘調査が行われ、伽藍配置が次第に明らかになっている。 塔のあった宝塔山(ホドヤマ) 石塔婆 鎌倉時代 現在の極楽寺 六角堂 国見山神社参道と方三間堂跡 大悲閣跡展望台
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