和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

65年前の、東京大空襲!

2010年03月10日 15時11分27秒 | 北斗七星
   ※ 北斗七星 ※

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「大空襲により浅草一帯は火の海となる。地をなめるようにして這う火焔と、秒速30米をこす烈風にあおわれ、親は子を呼び、子は親を求むれど、なすすべもなし」(浅草大平和塔 建設趣意書から)



1945年(昭和20)年の今日10日、日米戦争終結の年、米軍機B29の大群が房総半島の沖合から低高度で東京の下町に侵入。大量の焼夷弾が投下され、一般市民10万人が犠牲となり家屋27万戸が焼失。無差別本土空襲の始まりだった。



当時、筆者の家族も下町に住んでいたが直前に、群馬県内に疎開。辛うじて東京大空襲を逃れた。母が生前、「あの時、疎開先から100キロ以上も離れた東京方面の空が夕焼けのように真っ赤に染まったのを見た。怖かった」と話していたのを記憶している



「日本の歴史で最大の凶事は、いうまでもなく大敗戦であった」(「死言状」小学館文庫 山田風太郎)ことに異論はないだろ。戦争の被害者は、多くの一般市民に及ぶ。それは家族、友人、恋人など大切な存在を断ち切る悪魔の行為だ。



戦後、日本は奇跡的な復興を遂げ、紆余曲折を経て今日に至る。戦争体験者は少なくなった。65年前、苛烈な爆撃で灰燼と帰した地にも、また桜が咲き誇る。忘れまい。あらゆる戦争の非情有さ、無意味さを語り継ぐことを。


                   (志)  




2010年(平成22年)
 3月10日(水曜日)
 【公明新聞より転載】

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