千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

トラトラトラ!

博多商人のかつてのお昼ご飯の王道、うろんです。



忙しか博多の商人は週4日ほどお昼はうどんで済ませよった程うどん好き。
やっぱうどんは「スメ」ですね。
これはおいしゃんの昨日のお昼。
本来は博多コウトウネギばのせますばってんこれは白ネギです。



こちらミヤオのご飯

あいたた・・・・やっぱ安か猫缶はプルトップのついとらん

このお話はただこれだけ

さてさて今日の本題

今日はかつて日本がアメリカに宣戦布告してハワイの真珠湾ば奇襲した日です。
知っとりました?
時代は違うばってんがジョンレノンが銃弾に倒れた日でも有ります。
それはおいといて・・

厳密に言うたら暗号電文の解読に手間取りアメリカに宣戦布告したとは
奇襲攻撃が終わった後やったとです。
ここから「リメンバーパールハーバー」の言葉が出てきます。

1941年12月8日未明暗号電文「「ニイタカヤマノボレ一二〇八(ひとふたまるはち)」」が発せられ
日本帝国海軍が世界で初めてアメリカ本土ば唯一攻撃した日です。

今の若い人は日本とアメリカが戦争したことさえ知らんもんがおるらしいやない?

タイトルの「トラトラトラ」は「「ワレ奇襲ニ成功セリ」」の暗号電文です。



日米合作映画「トラトラトラ」でまさに暗号電文「トラトラトラ」ば発信する場面です。

まだ戦艦大和が就役したばっかり武蔵はまだ建造中の頃です。

アメリカが日本が戦争せないかんごとしかけた戦争とです。
当時の日本は国内の需要エネルギーの補給ばたたれ
どうしても戦争セナいかんごと仕向けられたとです。
これは「ハルノート」でもわかります。
「アメリカが日本に送ったのと同一の文書を他国に送れば非力なモナコ公国やルクセンブルク公国でさえ
必ずアメリカに対して武力をもって立ちあがっただろう」
東京裁判でのパール判事の言葉です。

アメリカ・イギリス・支那・オランダによる対日経済封鎖により
石油・ゴム・といった資源のほとんどば断たれとったけんが
日本は南方進出に乗り出したとです。
一部軍部の暴走は否めんばってんですが・・・
そこは戦争ですけんね。

東南アジアの国々はほとんどが欧米の植民地やけん
その国々ば独立させ対等貿易ばさせれば日本に活き残る道はある。
その結果の欧米との開戦に踏み切ったとが歴史です。

当時の山本五十六連合艦隊司令長官は「1~2年はじゅうぶん暴れて見せる」ばってん
戦争には否定的やった人です。
真珠湾のあとに「眠れる獅子(アメリカ)を起こしてしまった」とは有名な弁です。

ところがこの真珠湾にはアメリカの主力空母がおらんかったとですね。
日本はこの攻撃でアメリカの航空戦力ばせん滅して日本近海での
艦隊海戦に持ち込む算段やったとですね。
日本は航空戦力より重量艦船の製造に力ば入れとったとはっもはや
時代遅れやったとですね。第一次世界大戦でロシアのバルチック艦隊ば
せん滅した自負もあったとでしょう。

のちに大和も海の底・・・・・・
数十年後に地球ば救う宇宙戦艦ヤマトとして蘇るとは別のお話です。

今もなぞに残る「南雲中将」の攻撃中止命令。
逆にアメリカ空母からの攻撃ば恐れたか?
その後の結果は歴史の通りです。

ばってんがここで日本が戦争した国はアメリカ、イギリス、中華民国です。
ポツダム宣言で雨後の竹の子のごと出てきた国は確かにありますばってんが。
ロシアやら最たるもんです。日本とロシア(当時ソ連)は
同盟むすんどったとぃほごにして日本が負けた後、宣戦布告してきとうとですばい。
おいしゃんあの国だけは未だに好きやあありません。

そして決して今の中国(中華人民共和国)とは戦争しとりません。中華民国は台湾ですね。
ましては韓国は当時は日本軍です。

そいけんなん?て言われるかもしれまっせんばってんが
解釈は色々あってもかつて日本がアメリカと戦争したことがあるて言う事実ば
若い人には知って貰いたかですね。

今日が12月8日やったね~
ただそれだけのお話です。

ちなみに↓こちらコメディ映画「1941」です。
日本軍が宇宙船に乗って攻めた来たって映画
司令長官は三船敏郎ですよ。

1941 (2/11) Movie CLIP - The Indomitable Capt. Kelso (1979) HD

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コメント一覧

ちどりあし
昔は戦争映画良うありよったですね。
テレビでも「コンバット」が人気番組やったです。
やっぱ長崎はそうでしょうね。

博多も絨毯爆撃で焼け野が原になり家も無くなりました。
そげな事も今の人たちは知らん人の多うなってきましたけん
時々このブログで伝えろうて思いよります。
熊八
12月8日は
真珠湾開戦とジョン・レノンの命日ですね

トラトラトラとかミッドウェイとか
あと、三船敏郎が出とった東宝の戦争映画とかも
よく観たもんです
今度、吉永小百合の「母と暮らせば」ば見ようと思うとります
まだまだ長崎出身のの人間は戦争と原爆を切り離して
考えることはできません

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