岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

『福祉の町 べーテル』を読んでドイツに行きたくなった。

2011-09-20 15:51:52 | 


書籍名は
『福祉の町 べーテル ヒトラーから障害者を守った牧師父子の物語』 橋本孝著 五月書房

著者の橋本孝さんはドイツ文学の研究者です。
2001年べーテルを初めて訪れたそうです。
べーテルは障害者の町として有名で、1993年には天皇夫妻も訪問しています。
しかし観光地ではないので訪れる日本人は少ないようです。

べーテルは、ビーレフェルトという34万人の都市の一角にあります。
1872年、フリートリッヒ・フォン・ボーデルシュヴィング牧師がべーテルに着任します。
明治5年のことでです。
以来、親子2代の長期に渡って福祉の町を創造していきます。

この街の最大の危機はヒトラーの優生思想から引き起こされました。
ユダヤ人虐殺におよぶ行為は、優生学や安楽死の考えから。
「国家にとって無用な人たちや足手まといになる人たち、劣等な因子を持っている人々を抹殺することは、優秀な民族を残すことに不可欠である」

べーテルの街の住人(障害者など)にも選別の手がおよんできた。
その魔手からいかに住民を守るか息子のフリッツが挑む。

優生思想は、日本のハンセン病隔離政策にもあった。

この本を読んで驚いたのは、社会事業家・留岡幸助が1903年にべーテルを訪問していること。
留岡はここで「労働することの価値」を学んだ。

著者の橋本孝さんは岡山県北新見出身、留岡の生れた高梁市と近い。
べーテルを学んで留岡を知ったとのこと。

べーテルの町、ぜひ訪問したい。

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2 コメント

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ご案内しました (bonn1979)
2011-09-21 10:03:42
ベーテルの町

ドイツ在勤時代
30年ほど前ですね。

お客様は
当時無役でしたが
後の細川総理が国家議員として
夫婦でみえた。

大使館でアポを取り
大使館の車で
随行兼通訳は
当時一等書記官で赴任したばかりの
私ひとり
という堂々!の布陣でした。

当時の首都ボンからは
北へ相当かかりますね。

ところが
当時は
日本からの団体視察が多く
その対応にベーテルが困っていたのですね。

入り口の狭い部屋で
ビデオを見せられた。
日本からのお客が毎日のようにきては
・いつからはじめたの
・何人住んでいるの
・国からいくらでてますか
など
基礎的なことを繰り返し聞いてくる

たしか
ビデオは(ドイツ語ではなく)
日本語でした。

細川ご夫妻も
びっくりされてましたね。
大使館から国会議員頼んでもこうなのか?
ということで
私の努力が足らないって
感じでしたね。

広い域内を案内してもらい
主として奥さまが質問されました。

途中で
(私のドイツ語があまりひどくて)
奥さまがいきなりドイツ語で
質問されたのには
びっくりしました。

きたばかりの私を思ってか
我慢されていたのですね。

この本には
詳しく紹介されているかと思いますが
「日本人が少ない」
というくだりをみて
いまは時効となっていると思い
往時を反省しています・・・
返信する
貴重なお話ですね。 (岩清水)
2011-09-21 16:42:46
bonn1979先生
やはり訪問されていたのですね。
野田首相の大先輩細川元首相の同行ですか。
お役目とはいえお疲れさまです。

日本人が少ないという文章についてですが、日本人の観光客が少ないという意味だと思います。
最近の福祉関係者の訪問については書かれていませんでした。どうなのでしょうね。
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