
『吉井勇全歌集』中公文庫の中から
この僧院はその名を宝青庵と称し、浄土宗の一小刹にして、予が書斎となせる方丈は、足利時代の建築なりと言ふ。古式深き室の一隅に机を据え、その前に半跏黙想して、青閑の朝夕を楽しむ
吉井勇については深く知ることもなく年月を過ごしてきました。
京都の祇園にも碑があり、八幡にも住んでいたことは知られています。
吉井という地名も歌人に因んでします。
ただ、吉井勇が住んでいたのは終戦直後であり今はないのでないかと思い込んでいました。
彼が寓居にしていたころはすでに無住の寺だったからです。
ところがネットで検索してみると数年前まで訪問した記録や写真がありました。
手がかりを得たので出かけてみました。
東高野街道沿いで松花堂庭園から約50mのところです。
門が開いていました。
吉井勇先生寓居之地とあります。
戦争直後2年余り住んでいたそうです。
少しだけ覗かせていただきました。
青モミジと苔が美しい。
碑がありました。
この歌は全歌集には載っていません。
正確に読むことができないのでここには書きません(-_-;)
石畳の先には方丈がありました。
この方丈の片隅を書斎としていたのでしょう。
見事に保存されています。
ありがとうございます。
吉井勇60代前半の頃です。
波乱万丈の人生でしたが、妻と二人の生活の中で新境地に至っているように感じました。
こころに浸みる歌が詠まれています。
夕ごころそぞろ寂しくうつむきて青唐辛子焼くひとあわれ
門から東の方向を望みます。今は建物に遮られていますが、醍醐の山や鷲峰山も望めたそうです。
鷲峰山はほとけの山かそのうへに雲こそあなれ梵字のかたちに
ありがとうございました。
ガザとウクライナに平和を!