良寛の終焉の地・島崎和島から父以南が生まれた与板に向かいます。
もう午後4時頃になっていました。
与板で何を観ればよいか事前の準備ができていませんでした。
ぶっつけ本番になってしまいました。
与板の街に到着すると、長く商店街が続いていました。
軒先を屋根を付けたアーケードです。積雪対策だと思います。
↓ 城下町与板のイラストマップです。
黄色のマーカーで印した地点は、次 . . . 本文を読む
良寛の終焉の地の近くに「良寛の里美術館」があります。
良寛「鉢の子」の長歌です。
玄関前です。
受付周辺です。もちろん展示スペースは撮影できません。
秋篠宮妃も訪問されたのですね。受付にはどなたもおられません。
しばらくすると出てこられました。
入場者は私たちのみです。
玄関正面にはおなじみの手毬で遊ぶ良寛と子どもたちです。
右のステンドグラスは手毬です。
. . . 本文を読む
国上山を後にして島崎和島に向かいます。
島崎和島は、良寛が貞心尼と会った村であり良寛終焉の地です。
レンタカーのナビを頼りに行くのですが、最適なルートを選んでいるとは思えないなー
昨日通過した寺泊を再び通過して寺泊郷本から島崎和島に向かいました。
ナビとは違う看板を見ての判断です。
道の駅に着きました。現在地の確認です。
道の駅「わしま」です。良寛さん一色です。
手毬 . . . 本文を読む
この新潟への旅の目的地の一つ、国上寺と五合庵に向かいます。
国上寺の駐車場です。国上山の中腹にあります。
参道を上がっていきます。
石仏が並びます。
「越後一 国上寺」とあります。
山門をくぐります。珍しいですね。
国上寺についてはこちら。
現在は真言宗のお寺です。
参拝してから五合庵に向かいます。
深い山の中の山道を下ります、思いのほか遠いで . . . 本文を読む
弥彦神社は越後一宮です。
歴史はとても古く、「ご由緒」には創建2400年とあります!
神代のお話です。
境内に入ります。御手洗川に架かる玉の橋です。
ネットからマップをお借りしました。玉の橋はマップ左下にあります。
手水舎前では、11月に行われる「菊まつり」の準備が始まっていました。
なぜ良寛さんと神社に関係があるのかと思われるかもしれませんが、
江戸期には神仏が明確に分けら . . . 本文を読む
出雲崎から寺泊を経て弥彦までのルートです。
(中央の薄青のラインは信濃川です。中央あたりで分水しています。右上へのラインが本流です。
分水地区と呼ばれています。
出雲崎から少し行くと寺泊郷本です。○マークです。
この郷本の海岸に塩焼き小屋がありました。
そこに空き小屋があり住みついたと伝えられています。
良寛空庵跡という石碑が建っているそうです。
良寛の逸話が残っ . . . 本文を読む
良寛記念館を訪問した後に隣接している「良寛と夕日の丘公園」に登りました。
西を向けば港が見えます。夕陽が落ちる方向です。まだ昼過ぎです。
北を向いています。遠くに佐渡島が見えます。良寛の母は佐渡島出身です。
街並みの右手に良寛堂が見えるのですが分かりずらいです。
この写真では良寛堂が左手に見えます。
良寛の生家、橘屋跡です。
右上の山が国上山です。
岡山・玉島の円 . . . 本文を読む
良寛さんは西国修行から越後に帰ってきて最初に泊まったのは糸魚川です。
そこで病臥に伏したようです。長旅ですからね。
そこから北国街道を北上し柏崎、出雲崎に向かいます。
地図のブルーのラインです。
グリーンのラインは高速道路です。今回は高速利用はありません。
柏崎では番神堂を訪れました。
佐渡に流された日蓮が赦免された折に船が難破しこの地に流れ着いたと言われています。
左手奥に . . . 本文を読む
第一日の宿は妙高高原にある国民休暇村妙高です。
妙高山の麓にあります。
宿泊客のナンバーをみれば圧倒的に関東です。
西日本から来ている人はわずかです。
新潟県と西日本は地理的に遠いこともあり人的交流もとても少ないように思います。
私も新潟県は高速道路で東北に行く際に通過するだけでした。
とても細長い県であり各都市の位置関係もなかなか理解できませんでした。
長野県の案内書は見る機会があ . . . 本文を読む
念願の新潟への旅に行ってきました。
長野市まで新幹線と特急を乗り継ぎ13時に到着しました。
駅からはレンタカーの旅になります。
14時にスタート。戸隠神社をへて妙高高原で宿泊です。
良寛さんは善光寺には参拝していますが、戸隠や妙高を訪れたかどうかはわかりません。
(良寛さんは禅僧ですが神社参りもいとわなかったそうです)
戸隠神社までは長野のある盆地から険しい山道を上ります。
学生時代 . . . 本文を読む
当然ながらハマスの急襲は人道的に許されない。
今後予想されることはイスラエルの十倍返しである。今までそうだった。
第2次世界大戦後に始まったユダヤ人による軍事的な入植行動がいくたびかの戦争を引き起こしてきた。
英米はそれを支持してきた。ハリウッド映画界も支援して、イスラエルへのエール映画を作ってきた。
イスラエルは着々とパレスチナ人が住んでいる地域を占領していった。
中東戦争のたびに占領 . . . 本文を読む
10月2日の第2回記者会見でさらに悪化したジャニーズ社の対応。
「モノ言えぬ(言わぬ)マスメディア」を支配下に置いていた。
モノを言わない状況が続けば腐敗するのは当然の成り行き。
両者とも腐敗していった。
ファンも視聴者も騙され続けた。
最悪なのはその間、被害者が出続けたことだ。
70年に及んでしまった。信じられない長さだ。
どこの国の帝王でもそれだけの在位期間はない。神話(想像物) . . . 本文を読む
私が福田村事件を知ったのは、中川五郎さんのCD『どうぞ裸になってください』を聞いてからです。
2019年8月24日大島青松園と書いてもらっています。
沢知恵さんの大島青松園コンサートで協演された時のことです。
五郎さんにサインをしてもらうと顔中に刺青が入ってしまいました。
まことに手間のかかったサインです。驚きました。
それでも1枚のCDの影響は限定的です。
この「1923年福田村 . . . 本文を読む
今年の9月1日、関東大震災発生から100年の日に全国公開されました。
岡山ではシネマクレール丸の内で10月1日から上映されています。
本日、観てきました。多くの方が訪れていました。
福田村事件については、wikiの記載があります。
この実際の事件を中心に当時の社会状況や人々の生活を織り込んでいます。
群像劇といっていいでしょう。
香川県を出発した薬行商グループ15名が悲劇の主人公です。 . . . 本文を読む
第2回記者会見以降、J社の問題点が次々に明らかになっています。
テレビ局の報道がなかなか進まなく視聴者から見はされ地盤沈下が進む中、事件を深堀したYouTubeが飛躍的に伸びています。
軒並み登録者数が増えています。
特に記者会見でNG記者リストの6割がYouTube番組の出演者であったこと。
またJ社が指名したい人が旧来型のメディアに集中していることから、テレビを観ているだけでは現在の状 . . . 本文を読む