岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

【音楽幻燈隊】演じた中身は?  石井十次その十七 

2005-02-26 15:50:55 | 石井十次
このあたりは、私の個人的嗜好のように思うが、巡業の準備 の仕方、巡業の演目、ブラスの曲名、幻燈の内容なども 知りたい。 そのような細かなことから、明治時代や十次という人物の 輪郭を浮かび上がらせたいと思っている。  資料※によると、巡業の前に音楽隊が町や村を歩いて、 開催を触れまわる。 職員は、担当別に準備する。会場準備、総督(ディレクターか)、 木戸札売り、接待係など。今と同じ。 開会:8時 . . . 本文を読む

【大阪市】市労組は独自の改革案で、市長選挙を!

2005-02-26 09:47:14 | 日本の仲間
市側は、166億円の改革案を、官邸に報告にいった。 あの大平助役が、永田町を回った。 自民党は、なりふりかまわず、市労組攻撃を始めた。 次期衆院選に向けての攻撃開始である。 政権は守るためには、野党の基盤のひとつである労組の 連帯低下が不可欠である。 自民党も、もはやそれを否定しない。 さて、今回の大阪市役所問題は、政争の具にされるべき ものではないのは明らかだ。 今の大阪市役所は、ひとつ . . . 本文を読む

【音楽隊】活躍     石井十次その十六

2005-02-25 21:50:21 | 石井十次
では、具体的に幻燈を購入し音楽幻燈隊が巡業していった行程を 書いていくことにしよう。 1898年(明治31)というから、「日向巡業」の次の年1月末に 幻燈機が手に入っている。この資金も米国からの寄付が中心 らしい。本当に米国にはお世話になります。 さて、巡業が出発するのが、幻燈が手に入って1週間後、 2月5日である。 すでに写真等は集っていたのだろう。まことに段取がはやい。 一緒に作業を進めてい . . . 本文を読む

【音楽隊】登場②   石井十次その十五

2005-02-24 17:53:00 | 石井十次
音楽隊は、「東洋救世軍音楽隊」と名付けられて、伝道目的で 始められた。「東洋救世軍」というのはいかにも十次らしい 気宇壮大さが感じられるが救世軍に許可をとってつけた名前 ではない。そのうち使わなくなる。 「音楽隊」の詳しい数字は、前述の共栄学園短期大学の菊池 義昭助教授によることになる。 当初、伝道目的だったが、利益が上がるようになってくる。 そこで、孤児院の収益事業になってくる。他の実業として . . . 本文を読む

【音楽隊】いよいよ登場  石井十次その十四

2005-02-23 14:54:15 | 石井十次
十次の事業に語ることは多い。これからもどんどん書いて いきたいと思います。 まずは岡山孤児院の名物といえば、【音楽隊】である。 この話だけでも十分、1冊の本が書くことができる。 音楽隊は、岡山孤児院の創世期である1891年(明治24) から、1911年(明治44)まで、20年に渡って活動を 繰り広げた。最初は、シンプルな音楽隊だったが、時を 経るごとにスケールをアップしていく。 ここは、明治期 . . . 本文を読む

【貧困調査】英国の場合 石井十次その十三

2005-02-22 16:54:17 | 石井十次
貧困とはどのようなものか。19世紀末、世界で最も資本主義 の進んだ英国で調査が進んでいた。もっとも富める国でなぜ 貧困調査なのか。 今では常識でもある「富めるものはますます富み、貧しい ものはますます貧しくなる」という仕組みは、当時理解されて いなかった。 だれがどこで貧困調査をしたかについてなら、社会福祉を学ぶ ものはよく知っている。 さて日本国内にそのことを知らしめた人はだれだったのだろう . . . 本文を読む

【安らかに】品子、天に召される   石井十次その十二

2005-02-21 07:14:15 | 石井十次
1895年(明治28)3月、満天を被う星が流れていった。※1 十次、品子夫婦は相次いで三十路に入った。 疾風怒濤の20代は過ぎ去ったが、新たな試練が ふたりを襲うことになる。 この年、品子は3月に三女 基和子を出産する。次はぜひ 男子を、と期待されたかもしれない。 しかし、この時すでに品子は結核におかされていた。 結核は当時不治の病といわれ、恐ろしい病気だった。 この病に品子は床に臥したままに . . . 本文を読む

【妻】品子 石井十次 その十一

2005-02-20 06:13:12 | 石井十次
十次にとっても岡山孤児院とっても大切な人である。 品子について書いていきたい。 品子は十次と同じ年で同じ郷里の出身である。 結婚したのは16歳(1881年=明治14)だが当時は あたり前だったのだろう。 今でいえば高校生である。当時でも成長途上の結婚 である。どのような新婚生活だったか。これから 調べていこうと思うが、結婚イコール同居ということ でもなさそうである。 十次が岡山で医学生だった頃 . . . 本文を読む

ライブドア、一言だけ。

2005-02-19 21:56:17 | 日本の仲間
今朝、文珍の番組で、アンケートをとっていた。 ライブドアとフジテレビのどちらに肩入れするか。 どうなるか、非常に興味があった。 結果は、ライブドア3分の2! へーと思った。みんな鋭いな! 経済界や自民党が守っているものが何か? 感覚的にわかっているんだ。 手続きがどうだと、言っている人々。 では、手続きを取れは参入できるのか。 プロ野球でもできないのに、 既存マスメディアにできるわけはない。 . . . 本文を読む

【義援隊】孤児救済と財政② 石井十次 その十

2005-02-19 17:36:10 | 石井十次
濃尾大震災の救済について奔走する十次は、岡山孤児院の 子どもの教育にもなると、あることを思いついた。 岡山孤児院の子どもによる救世軍である。もちろん、 軍平の救世軍ではない。その救世軍は4年後に 日本上陸をする。 子供たちの救世軍は、ラッパを鳴らし、旗をたなびかせて、 岡山市内を歩き、義援金を集めた。 やがて、市内だけでなく、県内の各地を回った。 震災の年の11、12月の2ヶ月間で、900円が . . . 本文を読む

【岡山にて】県立図書館より。

2005-02-18 15:12:30 | 石井十次
ご無沙汰しています。 いくつか図書館を歩きました。この岡山県立図書館は新しく、 資料も豊富で時間がいくらあっても足らないくらいです。 市立中央図書館にも行きました。こちらも郷土の資料は多く、 手におえない感じです。 資料をいろいろみると、ガテンがいったりするのはいいけれど、 自分が始めたテーマの大きさに、呆然とすることになりました。 今は石井十次と留岡幸助の資料をみていますが、近年の 大学関 . . . 本文を読む

【濃尾大震災】孤児救済と財政① 石井十次 その九

2005-02-14 09:43:28 | 石井十次
☆今週は旅にでます。で、土曜まで更新できません。 岡山に寄れたらと思っています。ちょっと資料不足です。 +        +          + 私はこの文章を書くために年表として、講談社の「日本全史」を 使っている。 ページ数は1270ページで、1ページ4段A4変形サイズである。 明治時代だけで100ページになる。大変な量であるが、 社会福祉関係で何ページになるか、調べてみた。 小さな記事ばか . . . 本文を読む

【濃尾大震災】孤児救済 石井十次 その八

2005-02-13 17:16:03 | 石井十次
十次の言葉を読めば「正しいことを行え。結果を考えるな」と いつも励まされる。 十次は楽天主義といわれる。たしかに常人では、「心配で夜も 寝られない」状況下を明るく疾走していく。 しかし明るいだけか。 ともかく、そのスピード感は21世紀の今でも驚くほどである。 (今、BGMは、QUEEN JEWELSだ) その例を濃尾大震災救済に見てみよう。 1891年(明治24) 10月28日 大震災が起こ . . . 本文を読む

【日本で】米国の若者  石井十次その七

2005-02-12 06:52:58 | 石井十次
旭川の京橋を少し下ったあたり、貧しい人々の住居が建て込んで いた。その街の路地を長身の女性がさっそうと歩いている。 中国地方の小都市に米国人はまだまだ珍しい。 ブラウンの長い髪を束ねた碧眼のこの女性に奇異の目が 注がれる。しかし、彼女は気にする素振りもなく、 子どもたちに話しかけていく。 このような街にどんどん入っていくことが、当時の彼らの 使命ともいえた。 この女性が、アリス・ペティー・アダム . . . 本文を読む

【日本へ】欧米の若者が向かう② 石井十次 その六

2005-02-11 10:06:02 | 石井十次
十次は、その人々とたちまち意気投合してしまう。 これは、新たなテーマではあるが、武士の禁欲的生活と プロテスタントの禁欲的生活に共通点があり、互いに 人間として尊敬できる基盤があったのではないだろうか。 (ラストサムライにその雰囲気を感じる。オールグレン大尉は 敬虔なキリスト教徒ではなかったかもしれないが) ちなみに、十次は士族の出身である。 さてさて、あらぬ方向へ話が進んでしまった。 ++ . . . 本文を読む