2023年12月15日、西武池袋駅から清瀬駅に向かいました。
初めての訪問です。
都心の人の多さには驚かされます。
ホームを探しながら歩いていると人にぶつかりそうです。
人波を避けるのに必死です。
でも清瀬駅までたどり着くと変わらぬ街並みがありました。
清瀬駅からバスで10分ほどです。武蔵野の風景です。
土が黒いですね。関東クローム層と学んだ覚えがあります。
都心ではコンクリー . . . 本文を読む
RSKイノベイティブ・メディアセンターのロビーにて『長島からの風』展が開かれています。
26日まで開催中です。
長島に橋が架かって35年です。
人間回復の橋と呼ばれています。
収容された方々の思いが綴られています。
作品が掲示されています。
陶芸や写真も素晴らしい。
この日、講演をしていただいた中尾伸治さんの作品です。
一角でビデオ上映がされてい . . . 本文を読む
毎日新聞11月25日記事です。
「重大な人権侵害」です。
岡山の高校生だった頃、保健の教師から聞いた話と繋がります。
残念ながら受け継がれてきた日本人が持つ差別意識の表れです。
管理病棟に普通に保管されていたのだろうと思います。
罪の意識もほとんどなかったのでしょう。
第2次世界大戦中の捕虜虐待、人体実験がなぜ起こったのか。
歴史を読み解いていけば明らかですね。
いまだに克服で . . . 本文を読む
コロナ情報で全国のNHK局のニュースを細かく見るようになりました。
長時間かかって作業していることで得ることもあるのですね。
コロナでの差別と通じています。
こころの闇が見えます。
残念ながら差別はなくなりません。
人間が持った弱点です。
反対し続けることですね。
お読みいただきありがとうございました。
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この教会と礼拝に関する記事が本日付の山陽新聞に掲載されていました。
見出しとリードを転載させていただきます。なお写真は今年8月に訪問した時のものです。
礼拝 1年ぶり復活
岡山・沢さん尽力「生きた証を」後世に ハンセン病療養所・大島青松園(高松)
国立ハンセン病療養所・大島青松園(高松市)で1世紀にわたり入居者の心を支えながら
休止していたキリスト教の教会での「礼拝」 . . . 本文を読む
入所者だった故鳥栖喬さんの部屋を尋ねました。
この瀬戸内国際芸術祭の中でもっとも心揺り動かされました。
島から一歩も出ることのできない境遇に置かれた鳥栖喬さんの心境と美への探求心が
彼の部屋からあふれてきます。
表札には二人の名前があります。
部屋の中がアトリエになっています。写真を撮り絵を描くためにさまざまな工夫がなされています。
この島の中や島からの風景が作品の題材になって . . . 本文を読む
「風の舞」は、火葬場に隣接している。
1992年に1000人のボランティアが協力して作られたとある。
ガイドさんからは、骨壺に入らなかった骨を埋葬しているとのこと。
慰霊の場所です。
隔離されたこの地から魂が自由に飛び立ったことでしょう。
千の風になって。
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大島青松園と瀬戸内国際芸術祭のかかわりは長い。芸術祭が始まる前の2007年からやさしい美術プロジェクトが活動を開始。以来他のアーティストやこえび隊などがさまざまな取り組みを営んできた。2015年、高松市の事業で始まった、園内限定で月1回放送されるラジオ番組「大島アワー」はこえび隊が手作りし、入居者らは毎月楽しみにしている。閉ざされた場所での暮らしを強いられてきた入居者の願いは、穏やかな日常を送るこ . . . 本文を読む
2014年8月9日記事です。
北條民雄さんの本名が公表されました。没後、80年近く経っています。
ハンセン病療養所に入った体験をもとにした小説「いのちの初夜」の作者、北條民雄(ほうじょうたみお)(1914~37)の本名「七條晃司(しちじょうこうじ)」が今月初めて公表された。親族への差別や偏見を避けるため、死後も80年近く、伏せられてきた。生誕100周年を機に、業績を故郷で語り継ごうと、出身地 . . . 本文を読む
中尾伸治さんは、今年80歳になられました。
長島愛正園の自治会長をされています。
入所から66年だそうです。
14歳の時に強制収容されたことになります。
療養所行きには医師も同行してくれた。
心強かった。他に保健師や県職員も同行してくれた。
汽車を降りてから日本食堂で食事の後、「高級車」で虫明(港がある)まで行ったそうです、
この「高級車」は、中尾さんのジョークで、トラックの荷台にガソリンととも . . . 本文を読む
このシンポジウムは山陽タウンナビで知りました。
あやうく見逃すところでした。
ご存知のように、岡山県には瀬戸内海に浮かぶ長島に2つのハンセン病療養所があります。
かつて療養所で働いていた人も身近に大勢いらっしゃいます。
県民の感覚は「近くにあるけれど意識としては遠い」のではないでしょうか。
私は2008年に岡山に戻ってきたのですが長島訪問はその後です。
私が岡山から離れている間に、ハンセン病 . . . 本文を読む
産経新聞 3月7日(金)8時50分配信
瀬戸内海の孤島、大島のハンセン病療養所で昨年8月、83歳の生涯を閉じた詩人の塔和子さん。社会から隔離された過酷な境遇の中で命を見つめ、人間の尊厳を紡いだ1千編の詩は、多くの人の心を震わせた。今月17日、故郷の愛媛県西予市に遺骨が分骨されることになり、塔さんの弟(77)は悩んだ末に「姉の尊厳を守りたい」と銘板に本名を刻むことを決めた。
■小学6年で隔 . . . 本文を読む
2013年1月20日付の朝日新聞に作家の荒並力さんの投書が掲載されていた。
荒波さんは、明石海人の評伝を書かれている。
投書の内容も重要と思われますので、転載させていただきます。
燃えて光を発した大島監督
私は13年前、ハンセン病の歌人、明石海人の評伝を刊行した。その取材の過程で、大島渚氏がサインを求められると。海人の言葉の「深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない」 . . . 本文を読む
資料として転載しておきます。
毎日新聞 10月28日(日)14時31分配信
国内外のハンセン病問題の現状を紹介する「ハンセン病問題のこれからを考える国際シンポジウム」(長島愛生園歴史館など主催)が27日、北区であった。マレーシア、フィリピン、ブラジル、オーストラリアからハンセン病回復者や大学講師らがパネリストとして参加し、各国のハンセン病患者の隔離政策の歴史などについて語った。
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ハ . . . 本文を読む