山登り・里歩きの記

主に関西地方を中心とした山登り、史跡巡りの紹介。要は”おっさんの暇つぶしの記”でんナァ!。

「葛城古道」北から南へ (その 1)

2014年10月28日 | 街道歩き

歴史の道「葛城古道」は、奈良盆地の西南端に位置する奈良県御所市にあり、葛城・金剛山系の麓を南北に結ぶ全長約15kmの道。天孫降臨の高天原、葛城王朝など、ミステリアスな古代史に包まれた場所。葛城氏・鴨氏・尾張氏・巨勢氏などの豪族の本拠地でもあり、道の周辺には、数々の神話が残り、古社・遺跡も多い。

大和盆地東の「山の辺の道」に対抗して,近年「葛城古道」として地元でもアピールに力を入れている。2014/9/14(日)、近鉄・御所駅から風の森峠まで、「葛城古道」のほぼ全コースを北から南へ歩くことにした。

 崇道神社  


御所駅から西方の葛城山の麓を目指して緩やかな坂道を歩く。葛城山ロープウェイ駅への車のコースとなっているので、時々車に出会う。道路脇に崇道神社への矢印が見えるので寄ってみることに。民家の間の細い道を50mほど入ると、大きな楠の木に覆われ、小さな古ぼけた神社が鎮座していました。神社より楠の巨木のほうが印象的でした。
入口の案内板によれば、光仁天皇(四十九代)の子で桓武天皇(五十代)の弟の早良親王は不遇の死を遂げる。その後、京の都に種々不幸や悪疫も流行すると、早良親王の祟りだと恐れられた。その怨霊を鎮めるため、即位もしていないのに「崇道天皇」の称号が与えられ、各地に崇道神社が建てられたようです。ここもその一つ。

 鴨山口神社(かもやまぐちじんじゃ)  


次に出会うのが鴨山口神社。
鳥居をくぐった正面は社務所です。社務所前の右手に二の鳥居があり、それをくぐると瓦葺きの拝殿がひかえる。拝殿奥に一間社春日造の本殿が覗き見える。
大和の各地に(畝傍山、耳成山など)山口神社が存在するが、ここが本社だと神社は自讃される。「山口」とは“山の登り口”を意味し、山口神とは、皇居舎殿造営のための用材を切り出す山に坐す神をいうそうだ。さらに山は水の源なので、雨乞いの神即ち水の神・農の神でもある。

 六地蔵(ろくじぞう)石仏から「葛城の道」へ  


鴨山口神社から葛城山へ向かってなだらかな坂道を歩き、県道30号線(葛城山の東斜面を南北に走る県道30号線は、別名を御所香芝線という。)を横断し上っていくと「六地蔵石仏」の巨石が鎮座する。
道路のほぼ中央にどっしりと腰を据える巨大な花崗岩は高さ 約2m、幅 約3mもある。伝承によれば、室町時代に葛城山が崩れ土石流が発生し、岩石がここまで流されたといわれる。こんな巨石がここまで流されてくるので、大災害だったんでしょう。人々は仏様にすがろうとし、六体の地蔵様を彫り込みお祈りした。
六体の地蔵様は仏教の六道を表し、向かって右から天上道(日光菩薩)人間道(除蓋障菩薩)修羅道(持地菩薩)畜生道(宝印菩薩)餓鬼道(宝珠菩薩)地獄道(壇蛇菩薩)だそうです。

「葛城の道」はこの石仏から左に折れる。真っ直ぐ進む道は、葛城山ロープウェイ駅への徒歩での近道になっている。
六地蔵の角には、「至 駒形大重神社 九品寺」「至 鴨山口神社」の標識が。また「近畿自然歩道」の標識も見える。ここから本格的な古道「葛城の道」が始まる。車道から別れ、葛城山の山裾を田畑の香りを浴びながらのんびり歩く。
山裾の道は、左に行ったり右に分岐したり、かなりややこしい。一本道ではないのです。要所には標識が設けられているとはいえ、かなり惑わされました。「葛城の道は 迷い道」です。ただ見晴らしは良いので、それなりの見当をつけながら歩く。

 九品寺(くほんじ)  



右には葛城山の山肌が迫り、左を見渡せば御所の街並みから、その先には大和三山・三輪山を含む大和の地が展開する。その昔、こちらの山裾には豪族・葛城氏が、向こうの山裾には天皇家の祖先が対峙し睨み合った時代もあったことでしょう。
駒形大重神社を過ぎ、山裾の道をヤマトの地を見渡しながら南へ歩くとすぐ九品寺です。9時35分。
小さいが趣のある山門をくぐると、参道の両側に「十徳園」という庭園があります。左側は中央に池を配した池泉回遊式の庭園となっている。右側の庭には多くの石仏が配置されている。これは西国三十三ケ所霊場の御本尊を模した石仏観音さんだそうです。
庭園に挟まれた短い参道の正面に石段があり、それを登ると本堂が控える。どの堂宇も新しい。平成に入ってから改築されたようです。正式名は「戒那山九品寺」と呼ばれ、戒那山(かいなやま)とは葛城山の別名です。
浄土宗の教えで”品”というのは人間の品格のことで、「上品・中品・下品」がある。またそれぞれに、「上生・中生・下生」の三段階に区別され、全部で九つの品があるとされる。人は現世の所業によって、来世の浄土の世界で九品のどれかに分けられる。そして九品それぞれに阿弥陀仏がおられるという。宇治の平等院には9体の阿弥陀が祀られているが、ここは「上品上生」の1体だけが祀られている。本堂に祀られている御本尊の木造阿弥陀如来坐像です。

九品寺が有名なのは「千体石仏」。境内や本堂の裏山に石仏群が並べられ、その数1600~1700体といわれる。本堂裏手から緩やかな細い坂道をツヅラ折れ状に登っていく。その坂道の片側にリリーフ状に浅く彫りこまれた小さな石仏群がぎっしり並び、参拝者をお迎えしてくれる。
石仏の並ぶ折れ曲がった坂道を登りつめると、樹木に覆われ薄暗くなった平地に出る。正面を見ると驚かされる。小さな石仏が何層にも階段状に積み上げられ、まるでピラミッドのようです。中央には階段が設えられ登ってゆける。その上の平地にもたくさんの石仏がお迎えしてくれます。墓場のようなおどおどしさは無いが、さりとて平常心でもいられない。石仏一つ一つの表情を見て回りたいという気持ちと、さっさとこんな場所から逃げ出したいという気持ちが錯綜する不思議な世界が展開します。周辺を覆っているのは楓でしょうか?。紅葉に覆われたこの世界は、またどんな気持ちにさせてくれるんでしょうか?。

千体石仏を背にして東方を眺めれば、本堂の瓦屋根越しに見える風景がなかなか良い。大和三山を含め古のヤマトの原風景が浮かんでくるようです。

次に目指すのは九品寺と葛城坐一言主神社の間にある綏靖天皇高丘宮跡。葛城山の山裾を、遠く大和三山、音羽山、高取山などを眺めながら南に向かって歩く。「この地は、大和三山が最も美しく見える」と看板が立っている。また「この一帯は、秋になるとコスモスの花が一面に咲き乱れます」とも書かれている。彼岸花(満珠沙華)でしょうか?、ヤマトの地に鮮やかな色合いを添えています。

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