山登り・里歩きの記

主に関西地方を中心とした山登り、史跡巡りの紹介。要は”おっさんの暇つぶしの記”でんナァ!。

信貴山・長護孫子寺 1

2017年04月09日 | 寺院・旧跡を訪ねて

2016年11月29日(火)
久しぶりに山登りをと、近くにある低山の信貴山(しぎさん)を選びました。調べてみると、信貴山と長護孫子寺(ちょうごそんしじ)とは一体になっているようだ。そこで長護孫子寺のお寺参りに変更。長護孫子寺は「毘沙門天」さんで知られ、また国宝「信貴山縁起絵巻」で有名なお寺で、一度訪れてみたいと思っていた。
長護孫子寺は桜の綺麗なことで知られていますが、紅葉もまずまずという。紅葉シーズンも終りに近づいているが、まだ楽しめるだろうと思い、天気も良いので出かけました。

 近鉄・信貴山下駅から開運橋まで  


近鉄・生駒駅で近鉄生駒線に乗り換え、信貴山下駅で下車。8時半です。朝護孫子寺まで歩くか、バスを利用するか思案する。駅前の広い車道を山の方へ登っていけばお寺へ行ける。地図から想定すれば40分くらいか。駅前の路線バスの時刻表を見れば、9時30分発まで1時間待たなければならない。歩こうかと思ったが、奥之院や信貴山まで登るには体力を温存しておかなければならない。結局、バスを使うことに。
10分位で信貴山バス停に着き、そこで下車する。そこから朝護孫子寺の入口・仁王門までかなり歩かされました。仁王門近くの信貴大橋バス停まで乗るべきでした。

朝護孫子寺の入口にあたる仁王門が見えてきました。門手前の右側斜面には、赤い前掛けをつけた沢山の小さな地蔵さんが整列して出迎えてくれます。「千体地蔵」と呼ばれている。室町時代中期から江戸時代にかけてのお地蔵さんとか。
仁王門について公式サイトによれば「信貴山の山門である仁王門です。宝暦10年(1760)に大阪宝栄講が再建、明治14年(1881)に大修理、大正11年(1922)に成福院鈴木恵照師の代にこの場所に移転されました」そうです。

仁王門から真っ直ぐ進めば、寺の中心部へ入れるのだが、左下の大門池の方へ降りてみる。大門池は大門ダムによってできたダム湖です。信貴大橋という紅い橋が架かり、橋を渡るとホテルやお食事、お土産などのある門前町へ行ける。
橋のたもとに、羽ばたいているように見える巨大なモニュメントが置かれている。「西方守護神白虎」とあります。信貴山のある場所は奈良県の西方に当たります。そこで平城遷都1300年祭の際に、キトラ古墳の壁画でも有名になった中国の伝説上の神獣である西方守護神・白虎を設置したようです。また虎(寅)は、毘沙門天王の由来から朝護孫子寺のシンボルでもある。

「信貴山観光iセンター」は、観光案内所兼お土産品の販売所として平成21年(2009)12月に開設された。地域の特産品が並べられ、喫茶・軽食もできる。ここでも張子の寅が目立ちます。
信貴山観光iセンターの横に見える紅い橋が「開運橋(かいうんきょう)」。大門池に架かり、門前町と長護孫子寺とを結ぶ参道でもある。鉄骨を組み合わせたトレッスル橋脚を用いた上路カンチレバー橋で、非常にめずらしい造りのため、平成19年(2007)に土木史上の文化財的価値が認められ、国の登録有形文化財に登録された。

 境内図と歴史  



信貴山観光iセンター前に掲示されている境内図です。信貴山・朝護孫子寺の創起について公式サイトに以下のように記されている。

「今から1400余年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に至りました。太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けました。以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されています。
醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人(みょうれんしょうにん)が毘沙門天王に病気平癒の祈願をいたしました。加持感応空なしからず天皇の御病気は、たちまちにして癒えました。よって天皇、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることとなりました。また、朝護孫子寺は、「信貴山寺」とも呼ばれ、多くの方に親しまれています。」

聖徳太子の話は用明2年(587)、醍醐天皇の「朝廷を子々孫々まで守護する」という勅号により寺名「朝護孫子寺」と名付けられたは延喜2年(902)とされる。
平安時代以降は武人の信仰を集めた。戦国時代には、松永久秀が山上に信貴山城を築いたが、織田信長の攻撃を受け落城、朝護孫子寺も兵火で全焼した。その後、豊臣秀頼の手によって再興される。江戸時代に入ると七福神の一人として、「福の神」として多くの民衆から信仰を集めた。

現在の正式名称は「信貴山歓喜院朝護孫子寺(しぎさん かんぎいん ちょうごそんしじ)」。1951年に高野山真言宗から独立し、信貴山真言宗の総本山となっている。大和七福神(信貴山朝護孫子寺、久米寺、子嶋寺、おふさ観音、談山神社、當麻寺中之坊、安倍文殊院)の一つに数えられ、「信貴山の毘沙門さん」、「信貴山寺」などと呼ばれ、”商売繁盛”、”必勝祈願”、”金運招福”、”合格祈願”など民間信仰の場として広く親しまれています。

 絵馬堂・張子の大寅  


信貴山観光iセンターから奥へ進むと絵馬堂がある。安政年間(1854~)に大阪堂島の木綿屋梅蔵によって寄進された建物で、軒下壁面や内部の天井には多くの絵馬が飾られています。現在は、椅子などが置かれ休憩所となったいるようです。奥にはトイレもあります。

絵馬堂前を進み石鳥居を潜ると、本格的な長護孫子寺の境内に入っていく。鳥居奥に本堂の建物と、その手前に黄色い寅の姿が見える。石鳥居、本堂、寅の張りぼて・・・なにか違和感を感じます。

本堂を見上げる絶好の位置に張子の大寅が設置されている。聖徳太子の前に毘沙門天王が出現したのが寅の年、寅の日、寅の刻であったとされ、寅は毘沙門天王の御使いとして朝護孫子寺のシンボルになっている。高さ3m,長さ6mほどあり、世界一大きな張子の寅だそうです。後で知ったのだが、首が電導し掛けで上下左右に動くそうだ。
阪神タイガースの選手が、毎年必勝祈願に訪れる寺としても有名。昔年のユニホームとソックリで、オールドファンには懐かしいが、やっぱり違和感が。

 劔鎧護法堂・開山堂


 絵馬堂の並びに石鳥居と赤鳥居が建っている。鳥居をくぐり,杉林の立ち並ぶ薄暗い坂道を谷間へ降りていく。まもなく紅い旗が揺らめくなかに劔鎧護法堂(けんがいごほうどう)が現れる。

剱鎧童子(けんがいどうじ,護法童子)は毘沙門天さんのお供で,人間の災厄を守護する役目を持つ。国宝「信貴山縁起」の「延喜加持の巻」で、命蓮上人が法力で剣の護法童子を宮中に遣わして醍醐天皇の病を治したという逸話からきている。重い病にかかられた醍醐天皇の枕元に出現すると,天皇の病も治ったということから病気平癒、無病息災の守り本尊として人々の信仰を集め,祀られるようになった。
開山堂へは大寅手前左側にある階段を登って行く。開山堂は本堂と同じ高さになるように小高い丘の上に建てられているため,かなり急な階段を登ることになる。105段あるそうです。

開山堂は享保17年(1722)の建立。お堂へ入ると中央に四角い大柱のようなものがあり、一周できる。正面に信貴山開祖・聖徳太子が、右側面に歓算上人、背面に宗祖・弘法大師、左側面に中興開山・命蓮上人 が祀られています。、さらに堂内には四国八十八ヶ所のご本尊さまもお祀りされている。
開山堂の裏に,一段高く土盛りをされた上に命蓮上人の墓と伝えられる命蓮塚(みょうれんつか)が置かれている。命蓮上人は平安時代中頃,長護孫子寺を中興した高僧です。

開山堂から本堂を眺める

 塔頭・千手院、聖徳太子像とかやの木稲荷  


開山堂の丘を降り,大寅の横を奥へ進むと赤門です。赤門を通ると二手に分かれる。右へ下っていけば塔頭の千手院へ,左へ行けば聖徳太子像,かやの木稲荷,本坊の方へ行ける。

右手に見える朝護孫子寺の塔頭寺院「千手院(せんじゅいん)」は「毘沙門護摩」で知られる。千手院本堂にあたる護摩堂では,真言宗の秘法である護摩祈祷が命蓮上人の開壇以来1100年間毎日欠かさず行われている。「毘沙門護摩」は毘沙門天王を本尊とした護摩であり、信貴山だけに伝わる秘法だそうです。
千手院の左側の小阪を上がっていくと,総本山長谷寺の十一面観世音菩薩の分身を祀った観音堂と銭亀堂がある。
銭亀堂には,金運招福をもたらす銭亀善神が祀られている。ホームページに「授与所で”金運招福銭亀御守”と”壱億円札”が入った銭亀御守を授かり、このセットと財布を石臼にのせて「南無銭亀善神」と念じながら、石臼を右に廻します。 すると金運のまわりが良くなって、大変なご利益があります。毎年一度、4月の第2日曜日に銭亀善神の大祭が催され、金運招福のご利益にあずかれます。」と書かれている。
非常に心動かされる御利益だが,銭亀堂の前にある「三寅の胎内くぐり」のアトラクション?の方に足が向いてしまった。

大寅が入って来いと大口を開けている。三寅とは,毘沙門天出現の寅の年・寅の日・寅の刻を表し,また毘沙門三尊(毘沙門天・吉祥天女・禅貳師)にならい父寅・母寅・子寅を意味しているという。この寅の胎内を潜ると「三寅の福」が得られるそうです。特に入胎料がかかる訳でもないので,何度でも出入りできます。人気無いのか誰も通っていない。入ってみたが,薄暗い10mほどのトンネルの両壁に名言が書き込まれた紙が何枚も貼り付けられているだけでした。
千手院の入り口に戻り,左手の道に入る。塀のように石灯籠がぴったり並ぶ中を進むと聖徳太子像とかやの木稲荷の紅い鳥居が見えてくる。
馬に乗り笛を吹く聖徳太子像が建つ。長崎市平和記念公園の「平和祈念像」で知られる彫刻家・北村西望の造形したもの。この山で毘沙門天王を感得し排仏派の物部氏に勝利し仏教興隆のもとを築いた聖徳太子は、信貴山のシンボルです。
聖徳太子像と並んで大きな榧(かや)の木がそびえる。赤い鳥居で祀られ「かやの木稲荷」と呼ばれている。
「樹齢1500年の榧の木です。蘇我一族と物部一族が政治の実権を握るため争っていた大和朝廷の時代に、一粒の榧の実が萌芽して以来、有為転変する世相を鳥瞰してきた御神木です。この御神木を敬い稲荷社を建立しました」(公式サイト)そうです。 


詳しくはホームページ