2016年11月29日(火)国宝「信貴山縁起絵巻」で有名な信貴山・長護孫子寺を訪れる
塔頭の成福院、玉蔵院
本坊を過ぎると、小池に架かる小さな石橋があり、その先に屋上に塔をもった朱色のお堂が構えている。これが
朝護孫子寺の塔頭寺院「成福院(じょうふくいん)」です。
その由緒は「塔頭たる成福院の建立時期は不明なものの、後嵯峨天皇とのご縁から1200年代以降と思われ、1577年(天正5年)松永久秀の乱により焼失後、1790年(寛政2年)に再興され現在に至っています」(成福院公式サイトより)
朱色のお堂は、成福院の中心建物の「融通殿(ゆうずうでん)」で、後嵯峨天皇(1220~1272)が御念持仏とされていた「如意宝珠(如意融通宝生尊)」を下賜され祀られている。如意宝珠は、毘沙門天王が左手にもつ宝塔の内に納められているもの。開運・金運・勝運・良縁・子宝・息災延命等々どんな願いも叶えてくださる「融通さん」として信仰を集めています。
融通殿前に、編笠姿の人物と虎の像が置かれている。賽銭壷も。「寅大師」と書かれ「昔よりお金の事を「おあし」とか「寅の子」と言います。虎の足にさわって念じると・・・」と説明されています。賽銭無しでタップリ触っておきました。
成福院手前の小さな石橋は「宝寿橋」と呼ばれている。この周辺は、池、灯籠、植栽、紅葉などにより庭園風になっており、長護孫子寺では一番景観が豊かな場所です。
成福院融通殿前を左に行き建物の下を潜ると、信貴山の宿坊として親しまれている塔頭「玉蔵院(ぎょくぞういん)」がある。玉蔵院の本尊・毘沙門天王が祀られている浴油堂の前を通り階段を登っていくと、高台の上に赤色鮮やかな三重塔と巨大な白い地蔵菩薩像がひと際目につく。色鮮やかな三重塔様式の仏殿には阿悶如来が祀られ、地蔵菩薩像は高さ15mあり「日本一大地蔵尊」と称している。
それらの脇に建つ渋いお堂が玉蔵院融通堂。鎌倉時代に毘沙門天王様より授けられた如意宝珠の玉が祀られているそうです。「如意融通尊」と呼ばれ、「福徳円満・財宝就・如意円満の仏様で、熱心に信仰されますと、どんな願い事でも叶えていただけます」とある。アリガタヤ、アリガタヤ・・・。
玉蔵院融通堂へ向かう階段途中に億円札をくわえた寅の像が置かれています。
「この寅は聖徳太子様にお仕えした満願の寅です。全ての願い事を叶えて頂けるとの由来がございます。本堂に向かって一礼し、寅の足をさすり御真言を三辺お唱え下さい。有難い寅です。
御真言 オン ベイシラマンダヤ ソワカ」と説明されている。
笑ってしまいますネ。この寺で「聖徳太子 = お金」というのがだんだん理解できるようになってきた。
また融通堂の横には「金集弁財天」さまがお祀りされている祠がある。究極のアリガタヤ、”金が集まり融通も効く”弁財天さまだそうです。さすがにお参りする気にはならなかった。
玉蔵院融通堂前からの展望、本堂をはじめ境内が一望できます。
本堂へ向かう
成福院へ戻り、石畳の参道を本堂方向へ進む。途中に三宝堂や飛倉館があり、この辺りが広い朝護孫子寺境内の中心部になるでしょうか。イノシシも時々参上するようです。寅とイノシシ、相性が合うのだろうか。
石畳のよく整備された道を本堂の方へ進む。道の両側には朝護孫子寺のご本尊「毘沙門天王」の赤い幟で埋め尽くされている。
イノシシだけでなくスリさんもお参りするようです。金運・勝運祈願で訪れたついでにお仕事されるんでしょうか。おじいちゃん、おばあちゃんが狙われるのでしょう。
本堂が見えてきました。本堂階段の左側には虚空蔵堂、霊宝館、経蔵堂があります。
虚空蔵堂は、石鳥居を潜った先の水屋の脇を登った位置にあるお堂。徳川5代将軍綱吉の生母・桂昌院の寄進により元禄14年(1701)の建立され、虚空蔵菩薩が祀られている。
経蔵堂は現在閉められ、中へ入れない。回転さすことのできる「一切経」を納めた経厨子があるが、熱心な信者さんが功徳を得ようと一生懸命に回されたので壊れてしまったそうです。
一番奥が国宝「信貴山縁起絵巻」を展示した霊宝館。ここだけは拝観料:大人 300円(小人 200円)が必要。ただし見れるのは複製で、実物は奈良国立博物館に委託されている。毎年秋には実物の一部が里帰りし、公開されるそうです。「源氏物語絵巻」「鳥獣人物戯画」と並ぶ日本三大絵巻の一つ「信貴山縁起絵巻」は全三巻からなり平安時代後期(12世紀後半)の作と考えられているが、作者は不詳。信貴山で毘沙門天王を崇めながら修行し、不思議な法力で寺を中興した命蓮(みょうれん)上人の事績を物語風に描いた絵巻。
霊宝館にはその他、国指定重要文化財の楠木正成の兜、鎧袖、後醍醐天皇の皇子・護良親王の喉輪などの寺宝が展示されている。こちらはホンマ物です。
本堂
紅葉に彩られた本堂への登り階段。
本堂は,天正5年(1577)に松永久秀の信貴山城落城の際、焼失する。その後「本堂は文禄年中(1592)豊臣秀吉の再建、または慶長7年(1602)秀頼の再建とする説があり、定かではありません。後に修復を加え、延享3年(1746)に完成しました。然るに、昭和26年(1951)不慮の火災で焼失し、同33年(1958)に再建、現在に至っております。」(公式サイトより)
階段を登り正面に周ると、懸け造り(舞台造り)の上に張り出された礼拝所となっている。朱の欄干で囲まれ広々としている。ここからの展望が素晴らしい。
毘沙門天王像(中央)と吉祥天像(右)、善膩師童子像(左) (長護孫子寺発行「毘沙門天王の総本山・信貴山長護孫子寺」より)
毘沙門天は、仏法を守護する四天王および十二天の一尊で、北方を守護する武神。また仏様の言葉も衆生の言葉も等しく聞き届けてくれることから「多聞天」とも呼ばれている。
毘沙門天王がわが国で最初に降り立った地がここ信貴山で,聖徳太子に勝利をもたらした。朝護孫子寺の本尊とされ本堂に祀られている。毘沙門天王を中心に,向かって右に妃とされる吉祥天像,左に子とされる善膩師童子像(ぜんにしどうじ)の三尊で配されている。毘沙門天王像は頭に冑を被り,鎧で身を固めた軍神の姿をしている。そして右手に宝塔をささげ、左の手には如意宝珠の宝棒を持ち、足下に悪鬼邪鬼を踏み付けている。
ただし実際に目にすることができるのはお前立ちで,その奥に中秘仏そして奥秘仏が納められ,特別な行事や時期にはしかご開帳されない。奥秘仏は,聖徳太子が自ら彫刻されたという毘沙門天像で,12年に一度、寅年にご開帳されるそうです。
説明板には「毘沙門天王は七福神のなかでも、商売繁盛、金運如意、開運招福、心願成就の徳を最も厚く授けてくださる福の神です。信貴山毘沙門天王の、ご尊体に鎧兜を召されておられるのは、世の中のあらゆる、邪魔者を退散してやるというお姿で、見るからに恐ろしそうな尊顔は、心を強く持って、どんな苦しい困難に出会っても、がまん強い精神で何事も行なえということを教えておられるのです。また、右手に如意宝珠の棒を持っておられるのは、心ある者には、金銭財宝を意のままに授けて、商売繁盛させてやるぞとの思し召し、左手の宝塔は、この中に充満する福を、信ずる者の願いに任せて与えてやるとの福徳の御印です」と解説されています。
(?? 写真は左手に棒を持つが、説明板では右手に・・・??)
毘沙門天は「寅年の寅日の寅の刻」に現れるということから「寅」と縁が深い。境内どこへ行っても張子の寅を目にする。「百足(ムカデ)」も毘沙門天のお使いとされ崇められている。毘沙門天は金運・財運の神でもあるので,おあし(お金)が沢山あるということから百足(むかで)と結び付けられたようです。
扁額には、百足(ムカデ)の装飾があしらわれ,本堂の欄間のにも百足の模様が刻まれています。
本堂の下をぐるりとまわる「戒壇(かいだん)めぐり」でも知られている。「戒壇めぐり」について公式サイトに次のように説明されています。
「約800年の昔、後に紀州の国根来寺を創建されました覚鑁上人(新義真言宗の開祖)が、当山に籠って修行されました折、毘沙門天王のお告げにより、宝の珠「如意宝珠」を納められたと云われております。
この「戒壇巡り」は、心願成就を祈る修行の道場で、本堂真下の暗闇の回廊です。長さ九間四面三十六間、暗い部分で約60メートル、約5分間でお詣りができます。階段を下りたら、右手を右の壁に当てながら廻り、二番目の角を曲がってください。すると見えてくる灯明の場所には、皆様方の十二支生まれ年の守本尊、即ち千手観音や阿弥陀如来など八体の仏像がお祀りしてあります。ここで、ご自分の守本尊に身体健全、家内安全をお祈りください。次にまた、右手を右の壁に当てながら進んでください。次の角を曲って少し行きますと、又木の格子が手に当たります。その胸の高さに大きな鉄の錠前が掛っております。この錠前に触れますと如意宝珠に触れたと同じ功徳が与えられると言い伝えられ一願成就のご利益が授かります」
本堂右手に「戒壇巡り」の入り口があります。100円支払うと係りの人が親切に巡り方の説明をして下さいます。入り口をカメラで撮ったら,あわてて静止されたが・・・(撮った後でした)。階段を下り本堂地下回廊へ。角を曲がると真っ暗闇,一寸先も見えない。壁の手すりをさすりながらソロリソロリと進んでいく。暗闇は体験できるが,真っ暗な空間を進むというのはそう体験できるものではない。私以外に誰もいていない。不気味さと神秘感とが混ざり不思議な体験が得られる。手に鍵が当たる。格子の奥を見ると,ぼんやりした灯明の中に何か置かれている。こんな所から早く解放されたいという気持ちから,よく見ないで出口へ急ぐ。とりあえず錠前に触れたので,如意宝珠に触れたことになり心願成就のご利益が預かれる。
京都・鞍馬寺の本堂地下にも,似たような真っ暗な地下通路があり,中央辺りの薄明かりの中に壷が置かれていた。鞍馬寺も毘沙門天王をご本尊として祀る寺です。
特に本堂からの眺めは素晴らしく、斑鳩方面の山や町並を一望することができます
本堂横の階段上より境内を眺める。紅葉に染まった境内も綺麗だった。
詳しくはホームページを